偽保守・似非保守とは?安倍追従者の生態観察

 百田尚樹氏が自身のツイッター(2月24日付け)にこう語った――。

 「保守論客の中には、官邸から仕事をもらったり、選挙のたびに応援演説に行き少なくない謝礼をもらったりしている人がいる。まあ、それは許そう。しかし、そういう恩義で今回の官邸の対応を擁護しているとしたら、最低だと思う」

 いわゆる保守でも、理念から動いている者もいれば、それこそ官邸から仕事をもらったり、政権・政策絡みで収入・利益を得たり、あるいは単なるファンだったりする者もいる。

 前者は国益を擁護する。後者は政権を擁護する。そこが大きな違い。

 見分け方はそう難しくない。国益(What)をめぐる議論をほとんどせず(できず)、「安倍氏(Who)よりマシな政治家(Who)がいないだろう、野党(Who)がもっとダメだろう」という論法が1つの特徴。「What」でなく、「Who」の議論に終始する。それがまあ、後者であるとみてまず間違いないだろう。

 与党や政権絡みの当事者利益が常に国益と一致しているわけではない。利益相反も多々ある。一方では、政権への従属から個益を得ることがはるかに経済的実効性の高い選択肢になる。それがメカニズムだ。

 学者や論客、ちょっとした経営者から、ごく普通の一般人まで、最近、日本人だけでなく、日本語達者な外国人も活用されているようだ。偽保守、似非保守という層である。

 私はこの層を批判しているわけではない。単体的生計を立て、経済的利益を得るうえで、一種のモデルであるからだ。ただ、顕著かつ致命的な有害性が生じると容認されなくなる。

 百田氏いわく「今回の官邸の対応を擁護しているとしたら、最低だ」というのは、その有害性がすでに許容範囲を超えたからだ。ちなみに、中国にも同じ職業(生態)が存在する。「五毛」というもの。共産党政権のプロパガンダ機関の一歯車的な存在である。

 国益派でなく単なる安倍追従者、私のフェイスブック友のなかにも、そのような方がいる。見え見え露出している人もいれば、薄々と感じさせる人もいる。この方々に一言――。安倍政権の崩壊があなたたちにとって最大のリスクだ。リスク管理だけはしっかりしたほうがいい。

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