コロナ災難一過、日本はどんな国になろう

 新型コロナウイルスはいずれ去るだろう。コロナは日本社会に何を残してくれるのだろうか。その後の日本社会はどんな変貌を遂げるのだろうか。

 まず、このたびの疫病について、日本はこのままの体勢を維持していると、深甚な被害を受け、大惨事になるのが必至だ。「このままの体勢」とは何か。それは対面型、あるいは接触型の社会システムを指している。

 雇用維持という価値基準が主流となっている日本社会では、IT化が世界的に立ち遅れている。この期に及んでも、出社しなければできない仕事があるといっているのだから、そもそも間違った命題である。出社しないで仕事を完遂する方法をすぐにでも考え出せという段階なのに……。

 日本型の組織は、「職務指向型」ではなく、「人間共同体型」である。仕事と人の結びつきよりも、人と人の結びつきである。熱が出ても根性で出勤する。会社に行かなければ、仲間に迷惑がかかる。という前提があるから、思考停止に陥る。

 「元気よく挨拶する」なども典型的な共同体型組織の証である。某大企業の年度労使会の動画をみると、「どうして最近の若者が元気よく挨拶できないのか」という議論を散々繰り広げていた。外国人はそういうのをみると、「So What」と聞いてくる。挨拶ができるかどうかよりも、仕事ができるかどうかではないか。これはまさに「人間共同体型」と「職務指向型」の違いである。

 両者の良し悪しを評しているわけではない。ただ、今般の疫病がその検証となり、最後に生き残れるのがどっちかを示してくれるだろう。いやでも、「職務指向型」に向かわざるを得ない、組織がそうした職務指向型になれば、議論も進みやすくなる。つまり、非対面・非接触型の仕組みづくりである。

 そこで、日本人が本気で本格的にITに向き合う。その先は目に見えているように、人がどんどん取って代わられる。これまでの低労働生産性が矯正されていく。組織の形態移行に呼応して終身雇用制度の終了が一気に早まり、一斉に動き出す。短期的には大量失業を生み出すが、長期的に産業と社会の構造的強化につながっていく。もちろん、ある程度の階層や格差の顕在化は不可避であろう。

 このような社会の変遷を善悪で判断しても無意味である。日本社会にはこの本質的な「リセット」を必要としていた。ただ日本人であれ、外国人であれ、人為的なムーブメントによって実現し得ないことも明白だった。最終的に疫病という天災によって変遷が遂げられるとすれば、歴史的に「コロナ維新」と名付けてもよさそうだ。歴史がすでに動き出しているかもしれない。

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コメント: コロナ災難一過、日本はどんな国になろう

  1. 私は、不動産業を営んでおります。まさしく対面型で濃厚接触型の仕事を毎日必ず会社に行って働いております。勿論IT重要事項説明やSkype等を駆使して出来る事は出来るだけ対応はしておりますが、今のところ日本の法制度では限界があります。立花先生が仰る通り今後は抜本的に改革がなされる事と想像しますが、その道は残念ながら遠い様に私の業界は特に思います。

    1. 「改革」ではなく、「崩壊」と「再生」です。道が遠いようであれば、そのまま閉ざされてリセットする。大変不謹慎な言い方ですが、不動産業なら産業それ自体が崩壊するか、産業の再構成になるかもしれません。

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