日本は危ない!国内線搭乗はなぜ身分証明書チェックしないのか?

 ゴーン被告が密出国した事件が、日本の空港の安全問題を提起する契機になった。Wedge掲載拙稿『日本の空港はザルのようなものだ、ゴーン氏の脱出と私の体験談』の最後に、もう1つの重大なリスクを提起した。日本国内線の搭乗手続は未だに、写真付きの身分証明書のチェックが行われていないことだ。偽名でも何でも飛行機に乗れてしまうほど、世界的にも類を見ない危ない空港になっている。この問題を引き合いに「日本的システム」の特有な本質をえぐり出したいと思う。

● 身分証明書をチェックしない本当の理由とは?

 飛行機搭乗の保安検査は、安全確保上第一義的な手続だ。その前提となるのは、搭乗者の身分をはっきりさせ、実際の搭乗者と乗客名簿の個人データとを一致させることだ。なので、公的機関が発行する顔写真付きの身分証明書が必要不可欠である。まず、チェックインの際の本人確認、さらに搭乗口での本人確認。最低でもこの2回の確認作業が入る。一部の国では持ち込み手荷物のX線検査場でもチェックされ、3重の身分証明書チェックが実施されている(例:ベトナムの国内線)。

 しかし、日本の国内線の場合、その照合作業はまったく行われていない。偽名を使っても問題なく飛行機に乗れるわけだ。これだけ危ない空港になっている。これで問題が発生しなかったのは単なる幸運に過ぎないといっても過言ではない。このたびのゴーン氏の逃亡事件でついに、日本の空港の実態を世界にさらけ出すことになった。世界規模で公知の事実になった以上、今後テロや犯罪者に悪用されない保証はどこにもない。特にこれからオリンピックの開催を控えて安全上の懸念がさらに増大する。

 なぜ国内線搭乗に身分証明書がチェックされないのか。単なる性善説だけでは説明できない。チェックしないのは、チェックできないからだ。なぜチェックできないかというと、写真付き身分証明書をもたない日本国民がいるからだ。

 日本国の公的機関が発行する顔写真付きの身分証明書で、よく使われているのは、自動車運転免許証、旅券(パスポート)とマイナンバーカードという3点である。しかし、この3点のいずれかを必ず保有することを必須条件としていない。

 有効旅券の保有率は約25%(外務省領事局データ・平成30年)、運転免許保有者数構成比男性54.7%、女性45.3%(警察庁交通局データ・平成30年)。マイナンバーカードとなると、さらに保有率が低く、20%を割っているという(2019年3月18日付東京新聞)。

 故に、上記の3点の身分証明書をいずれも保有しない日本国民が多数いることが分かる。国内線の搭乗に身分証明書の提示を義務付けた場合、搭乗拒否者が続出するだろう。それで現に身分証明書のチェックができないという事情があったのではないだろうか。

 私は海外生活が長く、もっとも馴染み深いのは、「IDカード」という概念である。どこの国も基本的に特殊な事情(出生届未提出や密入国など)を除いて、1人の国民に1枚の国民身分証明書たるIDカードを発行している。マイナンバーカードのような「取得率」とか「普及率」とかそういう概念は存在しない。その国に居住する限り、IDカードがなければ、生活できないほど不可欠な身分証明書である。

 日本のように、運転免許証が身分証明書の代用とされるケースが稀有といえる。私は住んでいるマレーシアで幾度か同国発行の運転免許証を試しに出してみたが、いずれも拒否された。国内線の搭乗どころか、ホテルのチェックインですら受け付けてもらえない。ホテルといえば、日本のホテルも身分証明書チェックなしで投宿できる。これも非常に危ない。

● 運転免許証が日本人の身分証明書になった本当の理由とは?

 日本は非常に特殊な国である。国民IDカードが発行されない代わりに、自動車運転免許証が身分証代わりに使われている。なぜこうなったのだろうか。この問題を解くために、まず日本の自動車運転免許制度をみてみる必要がある。

 第一関門は、自動車免許の取得。なんと平均30万円という、これも世界に類を見ない高額な費用がかかる。アメリカでの免許取得はわずか数十ドル(数千円)という相場だと友人から聞いた。私の住むマレーシアで指導補習や手続等諸費用を入れてもせいぜい日本円にして7~8万円程度で済む。

 何よりも、日本のような大掛かりな教習所たるものは世界を見ても、異常な存在としか言いようがない。教習所をはじめ自動車免許取得それ自体が「一大産業」として肥大化した事実は看過できない。ある意味で、「利権化」しているといっても過言ではないだろう。

 まだまだある。免許取得で終わらない。免許更新手続、3年や5年1回の更新が大掛かりなイベントになっているだけに、これも莫大かつ持続可能な収入源になっている。私自身も出張がないとき、免許証更新のためにわざわざ海外から日本へ一時帰国しなければならなかった。更新手続はどのようなものかといえば、誰もが知っているだろうが、あえて整理すると以下になる(私自身の事例)。

 即日受領のために、朝早く運転免許試験場に出向く。8時前に到着してもすでに長蛇の列。待つこと1時間。やっと窓口がオープン。まずは1番窓口に行き、コピーして更新申請書を出力してもらう。次に2番窓口に転戦、免許証更新手数料を支払い、また別の書類をもらう。3番ではその交付された書類の2枚にそれぞれ記入。4番は視力検査。5番は暗証番号の入力と用紙の出力。6番は写真撮影窓口で写真を撮影し、講習受講場所の用紙を受け取る。7番は講習受講。最後に新免許証受領。

 これも、おそらく世界に類を見ない煩雑な運転免許証更新手続ではないだろうか。免許試験場のドアインからドアアウトまでの所要時間は3時間弱(ゴールド免許の場合)、往復の移動時間を入れると半日が潰れる。日本国の運転免許証保有者人数は8200万人規模。3年と5年免許があって平均4年の更新期間で計算すると、毎年2000万人がこの手続のために、5000万時間を費やしていることになる。5000万時間とは5700年、5世紀に相当する。

 OECDのデータ(2019年)によれば、2018年の日本の時間当たり労働生産性は、OECD加盟36か国中21位だった。生産性に関してほぼマヒ状態に陥っているこの国の実態が映し出されている。免許証更新手続の現状存続が必要だとしても、人為的に複雑化された手続を効率化すれば、最低でも半分以上の無駄が削減できる。昨今のIT技術を動員すれば、さらなる簡素化も可能であろう。

 そういう話を切り出せば、「自動車運転は生命安全に関わる大事なことだ」と正義論を引っ張り出す人がかならず現れる。この非論理性はいまさら反論に値すらしない。行政手続の煩雑度と自動車運転の安全性の間に相関関係があるのだろうか。

● 日本の衰退を招いた本当の理由とは?

 余談になるが、日本の優良運転者(ゴールド免許)制度も非常におかしい。そもそもペーパードライバーとデイリードライバーとを同一土俵で評価し、無事故無違反歴を同一基準で判断すること自体が不合理だ。

 優良運転者とは何か、「運転」があっての「優良」。私はあるマネージャー研修クラスで、本当の優良運転者を査定評価する際に、どのような実効的な評価基準を取ればいいかと受講者たちに出題したことがある。そうすると、いろんな発案があって、最終的にまとめると、一定の走行距離に対応しての安全運転歴を評価基準にするべきだという結論に収束する。

 では、その単位走行距離を如何に実測するかという実務問題になると、技術系のマネージャーが、運転免許証にICチップを組み入れ、自動車のエンジン始動装置と連動させ、免許証とキーを同時挿入した時点でエンジンがかかるようにすればいいと提案してくれた。すると、走行実績が自動的にトラッキングされ、優良運転者の評価が時系列的にできあがる。さらにこれで免許証の不携帯問題も解決されるという派生的なメリットがついてくる。

 ここまでくると、全運転者の運転走行ビッグデータができあがる。AIを導入すれば、安全運転向上のためのデータ分析処理が行われ、より大きな付加価値が創出される。この段階に至れば、運転免許証のオンライン更新手続も可能になろう。運転者側にとっても行政側にとっても莫大なコスト削減が実現する。ただし、これは肥大化した「一大産業」に恵まれていた既得権益層には面白い出来事ではない。議論が封殺されかねない。

 自動車産業がモビリティサービス産業へのシフトを遂げようとしている今日、まさに百年に一度の産業大変革期に差し掛かっている。変化からは無数のチャンスが生まれる。そこに目を向ければ、バラ色の世界が見えてくる。

 国内線搭乗の身分証明書チェックの話からずいぶん展開してしまったが、底流に横たわる本質は共通している。世界が大きく変わろうとしている。日本人が従来の「システム」(仕組み)に安住し、既得権益にしがみつき、変化に抗おうとすれば、時間が経てば経つほど状況が悪化し、その先に待っている未来は衰退ないし破滅にほかならない。

 日本の空港は危ない。日本がもっと危ない。いろんな仕組みを作り直す時期である。

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