行き詰まる「集団免疫」と行き詰まる社会

 「集団免疫」という言葉、何故か聞かなくなった。

 「スウェーデンでは、比較的緩やかな独自の対策を続け、人との間に十分な距離をとることなど、個人が責任をもって行動するよう呼びかけてきたが、感染者は4万人を超え、死者も4500人以上となっている。当局は6月3日、対策が不十分だったことを認めた。また、ノルウェーとデンマークは、今月15日から入国制限を一部解除し、相互の行き来を再開するが、スウェーデンについては、対象から除外している」(6月4日付NHKニュース抜粋)

 隣国や他国間の往来が再開しても、集団免疫の当該国が対象から排除される。5月11日付私の記事『コロナ後の国際航空便、「終息国グループ」の村八分が怖い』にはこう書いてある――。

 「集団免疫の特徴は2つ。まず、時間がかかる。次に、国内感染者数が多い。これは当然『終息国グループ』から排除される主因になる。たとえば、北欧国家のなかでも、スウェーデンだけが排除される可能性が高くなる」

 まさに予想通りの展開だ。集団免疫に近い中途半端ないわゆる「独自路線」を走ってきた日本。堂々と「集団免疫」すらいえず、「独自路線」と称したのも、結果的に後付けしたものとしか思えない。感染者数や死者数が相対的に多くないといっても、感染の実態が見えないのが問題。いや、そもそも見ようとせず目を覆ってきたのである。

 PCR検査件数が後進国並みの低さで、それが正しいか間違いかを議論する価値はない。これから事実が検証してくれるからだ。世界に信用されれば、日本発の渡航者には諸国が門戸を開くのであろう。感染実態が不明な国からの渡航者の入国を容認するかどうかで、諸国の政策や姿勢が分かりやすい指標になる。

 すでに始まっている「陰性証明書」の入国要件はその表れだ。PCR検査を未だに一般解禁しない日本では、陰性証明書問題が拡大するだろう。ただ、ポスト・コロナの日本は、国内完結型経済を目指しそれなりの政策転換をすれば、影響の減少が幾分可能かもしれない。鎖国経済、準鎖国経済として批判するわけではない。グローバル化の終焉に伴い、産業回帰をはじめとする政策転向はむしろ1つの確固たる方向性である。

 ただ、それがドラスチックな変革が求められる。一方では、自粛解除すれば、せっかく実現しつつあるテレワークが早くも退潮し、慣れ親しんだ「昨日」に戻ろうとする日本社会がそこに横たわっている。この先は楽観できそうにない。

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