「大紀元」批判に躍起、大手ニューヨーク・タイムズはどうしたの?

 ニューヨーク・タイムズが「大紀元」を批判する長文記事(10月25日付)を掲載した。それは、驚いた。

 世界「トップクラス」の大メディアに取り上げられ、しかも大々的に取り上げられたことは正直、「大紀元」にとって数億円相当の無料広告に等しい。ニューヨーク・タイムズが「大紀元」のような零細メディアを競合社と見なしたことは、「大紀元」の価値を認めたことになる。

 右翼メディア「大紀元」は、私は十数年にわたり、ほぼ毎日読んでいる。ただ、公開記事のなかにソースとして引用したのは、1回(英語記事)だけ。その1回は、同社の独占報道だったので、未確認情報として引用した。引用を躊躇ってきた最大の原因は、その知名度が低いことではなく、背後に法輪功という宗教団体が存在しているからだ。

 繰り返してきたが、私自身は信仰があっても、宗教をもたない。したがって、特定の宗教色が示された情報ソースに対しても、フィルターをかけている。あくまでも参考としてみており、必ず他の情報チャンネルを使って検証することにしている。

 法輪功が弾圧を受けたこともあって、たびたび「大紀元」に左翼からみれば「偏向」にあたる記事が掲載されていることも事実。ただ、偏向記事なら、ニューヨーク・タイムズだって平気で掲載(あるいは偏向的不掲載)しているのだから、ダブルスタンダード的に批判するのはおかしい。私は左右に関係なくそれほど偏向記事を問題視しない。メディアにはそれぞれ政治的立場があっていいと思っているからだ。

 情報ソースの見方として、事実関係と報道者のオピニオンを分けてみるのが鉄則であり、事実関係の確認にあたっては、ノイズを消去すればいい。左翼メディアの情報の扱いも、私は同様の手法をとっている。仮に捏造記事があったとすれば、当事者が法的手段に訴えればいい。それだけの話。

 ニューヨーク・タイムズの、自分自身だけが正義の声であるかのような姿勢はいただけない。多様化した社会・世界に多様な声があっていい。それこそが、リベラルの考え方ではなかろうか。左翼のニューヨーク・タイムズが右翼の「大紀元」を批判するのはいいと思う。具体的なネタに対して具体的に反証、反論していくのが筋だろう。包括的な批判や罵倒は、自己卑下に等しい。

 たとえば、ハンター・バイデン氏の不正疑惑。互いに真っ向から反論しあっていればいい。しかし、残念なことに、ニューヨーク・タイムズはまともに取り上げていない。ジョー・バイデン氏も具体的な説明や反論がないまま、投票日の直前というのに、活動を中止して姿を消した。

 そういう時期に、ニューヨーク・タイムズが「大紀元」を批判する記事を掲載するのは、トランプ陣営を助けるほかに何の効果もない。もしや、ニューヨーク・タイムズが「右折」を企図しているのかとすら疑わざるを得ない。右折すれば、「大紀元」が間違いなくニューヨーク・タイムズの真のライバルになるだろう。

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