エスタブリッシュメントは善か悪か?そして私の仕事とは?

 少し前、元顧客の某友人と東京で会食したときに、その方が私にこう言った。「立花さんはいわゆるエスタブリッシュメントの人間ですから、どうして時々…」。言い辛そうだった。要するに、なぜ、反エスタブリッシュメント的な言行があるのかと聞きたかっただろう。

 結論からいうと、私はエスタブリッシュメントでもなければ、また反エスタブリッシュメントでもない。

 まず、エスタブリッシュメントとは、支配階級・組織や既成勢力を意味するが、私は大きな組織に所属していないし、背後に大きな勢力がついているわけでもない。私は孤軍奮闘する一匹狼だ。ただ顧客企業が大手企業ばかりだというのが事実だ。そうした意味で、私がエスタブリッシュメントから糧をもらい、生計を立てているといったほうが実態に近い。

 次に、私は反エスタブリッシュメントではない。当然だろう。反顧客のことをしていたら、私は破滅する。エスタブリッシュメントという社会的存在それ自体が悪ではないし、消えることもない。私の仕事は、その存在がもっと健全なもの、建設的なもの、持続可能な価値創出型のものになるように仕向けることだ。

 つまり、エスタブリッシュメントというものから、負の要素をなるべく取り除き、それを持続可能な発展型にすることだ。これを達成するための唯一の手立ては、エスタブリッシュメントに流動性を加えることだ。特定の小集団や個人の既得利益の流動化である。エスタブリッシュメント内外、双方向を行き来できるようなシステムを作り上げることが欠かせない。

 この趣旨を理解し、私の理念に賛同するエスタブリッシュメントが喜んで私に仕事を依頼してくる一方、既得利益にしがみつこうとするグループは私に拒絶反応を示す。それはそれでいいと思っている。世の中、どんな組織でも新陳代謝機能を失えば、必ず衰退・没落する。この法則は不変である。

 エスタブリッシュメントは常に流動性をもち、老廃物を排出し、世間に均等な機会を提供し、新たな栄養(人材)を吸収すれば、社会に大きなプラスになるだろう。資本主義の基本理念とメカニズムの所在でもある。左翼社会主義者が狙っているのは、エスタブリッシュメントの固定化である。そこをしっかり認識し、その毒素を排除しなければならない。

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