「副業解禁」の正体、正社員受難の時代が幕開け

 副業全盛期までいかなくとも、日本企業は着々と「副業解禁」の方向に向かっている。働き方改革の一環としての施策だが、副業解禁の本質、その正体とは一体何であろうか。なによりもその裏に隠されている「企業事情」はどのようなものか。さらに、いままで所属会社一本で働いてきたサラリーマンは、副業解禁をどう捉えるべきか。いずれも大変気になるところだ。

● 正社員受難の時代が幕開け

 まず、企業はなぜ、副業を容認するのか。諸説がある。人材流出を食い止めたいが、かといって高給待遇を出せない。ならばせいぜい副業を認めて、収入アップを黙認しようというような企業も確かにある。よくみると、「高給待遇を出せない」よりも、社内で能力による格差をつけたくないという本音が見え隠れしたりするケースもある。

 いずれにせよ、出している給料は不足していると企業側が自ら認めたものだ。給料を十分に出せないから、その代りに副業で何とかしてくれというのが本音ではないだろうか。そもそも、日本企業には社員を自由に副業させるような風土がなかったのだから。

 企業によっては、副業解禁は条件付きで容認されている。対象社員に一定の勤続年数や副業勤務時間数上限など条件を設けたり、届け出あるいは申請ベースを基本とするケースも散見される。リクルートキャリアが2018年9月に実施した企業の意識調査では、兼業・副業を容認・推進している企業は全体の28.8%にとどまる。前回調査比で5.9ポイント上昇しているものの、まだ高い率とはいえない。故に、副業解禁とはいえ、ある意味で企業の「渋々感」が否めない。

 余程のことがない限り、日本企業は決して好き好んで副業を容認したくないはずだ。その「余程のこと」とは何だろうか。詰まるところ、企業は正社員サラリーマンの給料を従来通りに払えなくなった(なる)。2020年以降、同一労働同一賃金の導入で各種手当が削減される可能性が高まっているというが、その本質は何だろうか。

 日本の場合、正社員と非正規社員との間に大きな賃金格差が存在していた。実際に同種の労働をしている以上、同一労働同一賃金の原則(制度)が導入されれば、こうした待遇格差は違法にあたるので、企業は是正措置の実施に迫られる。そこは謎である――。同一労働同一賃金の導入があっての格差是正なのか、それとも「格差是正目的」の導入か。言ってみれば、どっちが目的どっちが手段の話である。

 働き方改革関連法が2020年4月から本格的に施行される。同法には、残業規制や同一労働同一賃金といった内容が盛り込まれていた。残業規制についてはすでに始まっており、残業代込みで年収を辛うじて維持していたサラリーマンは、残業代の減少(激減)によって生活が苦しくなる一方だ。

 これはまだ序の口。何よりも「殺傷力」が大きいのは、同一労働同一賃金である(20年4月から施行、中小企業は21年4月から)。同一業務に従事している社員については、正社員と非正規社員との間で原則として待遇格差を禁止するというものだ。

 格差是正のやり方は2つある。非正規社員の賃金を上げるか、正社員の賃金を下げるかだ。前者一本に絞る企業は限られているだろうから、後者中心か両者並行が主流になる。いずれにしても、正社員受難の時代になる。

● 「副業解禁」の隠された本質とは?

 「副業解禁」という問題の本質とは何か。労働市場の概念から説明すると、分かりやすい。

 資本主義の特徴の1つとして存在する労働市場とは、労働力を商品として、需要と供給をめぐる取引が行われる市場である。概念を区分するために、企業外に位置するこの大きな労働市場を「外部労働市場」と名付けておこう。

 外部労働市場では、需要と供給の調整は、賃金(労働力の価格相場)の調整で行われている。労働の超過供給とは、「失業」であり、失業とは「賃金の下方硬直性」と密接に結びついた現象である。賃金の下方硬直性とは、労働の需給調整のバランスが崩れ、労働者の賃金が一定以下に低下しない状態。このため失業が発生する。

 しかし、日本の外部労働市場は、終身雇用制により一部特定の職種などを除いて転職が阻害されているため、全体的に硬直化している。市場メカニズムの働く外部労働市場で商品としての労働力が自由に取引されるはずだが、日本は違う。外部の代わりに、企業、特に大企業の内部労働市場が機能している。大企業は資本力が強く、終身雇用の約束をより確実に担保できるという「安心感」があって、優秀な人材を囲い込むことができるからだ。

 一見外部労働市場の「内部化」とも捉えられる現象だが、本質的な相違に留意しなければならない。内部労働市場では、果たして外部労働市場同様の市場メカニズムが働いているかという点である。確かに大企業内部では、グループ企業の人材需要に応じて労働力の配置転換を行っているのだが、それはあくまでも人為的な辞令に依存しているのであって、本物の市場需給関係(市場メカニズム)が機能しているわけではない。

 人為的な辞令による配置転換は、資本主義制度下の市場経済よりも、社会主義的な計画経済に近い。であれば、資源配置の最適化がなかなか難しい。適材適所といっても、従業員の立場からすれば、企業は必ずしも得意な仕事ややりたい仕事をやらせてくれるとは限らない。特に従業員個人が望まない転勤や異動となると、本人の納得感や幸福度が低下し、モチベーションにも影響が出かねない。

 さらに、年功制による賃上げは個人パフォーマンスとの関連性が約束されていない。個人ベースの賃金と労働生産性の乖離が生じても、すぐに市場メカニズムによって調整されずに温存されることが多い。それはつまり逆に、市場メカニズムを毀損しているのであり、最終的に企業内部の賃金の下方硬直性を引き起こす。

 外部労働市場なら、賃金の下方硬直性が生じた場合、労働の需給調整のバランスが崩れ、失業が発生するのだが、内部労働市場の場合、終身雇用制度が機能している以上、解雇(失業)は発生しない。

 「副業解禁」の本質とは何か。一言でいえば、外部労働市場への門戸である。内部労働市場がいよいよ行き詰まると、いやでも外部労働市場へのアクセスを求めざるを得ない。結局、副業解禁という美名がつけられても、その裏に隠された景色は、終身雇用制度の崩壊にほかならない。

 賃金の話に戻るが、社員にとっての給料は、企業にとってのコスト(費用)である。そこで中身をみると分かるように、非正規社員の賃金は仕事や生産性の変動によって増減して柔軟に対応できる変動費であるのに対して、正社員の賃金は解雇不能のため固定費にあたり、しかも終身雇用制度のもとで描かれた賃金カーブに沿った上昇型の固定費である。

 企業財務の「健全性」という単純な観点からすれば、固定費比率を引き下げることが第一義的ミッションになる。つまり、働き方改革の第一弾として、変動費にあたる残業代の削減が限界にまでに到達した場合、次はいよいよ正社員の賃金という固定費に手をつけざるを得なくなったということだ。

 そこで、同一労働同一賃金という「正義論」に裏打ちされた制度を実装すれば、正社員賃金という聖域にメスを入れられるようになり、最終的に終身雇用制度の全体的溶解につながる。ただ救済措置が必要だ。段階的制度移行の過程に、目減りする正社員の収入を補てんすべく、これを吸収する装置として、「副業解禁」という道が用意されたと認識するのが妥当ではないだろうか。

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