夢と感動、「祭りの後」と「後の祭り」

 東京五輪、やっと開幕した。昨日(7月23日)の開会式には、賛否両論。人それぞれの立ち位置や捉え方、感じ方があるわけだから、正直、どうでもいいのだ。

 祭りだから、プロが企画したもので、近代の科学技術も相まって、よほど冷酷な人、あるいはICU(集中治療室)で酸素吸入しているコロナ重症患者でもなければ、少しくらいは感動するだろう。感動や夢は、現代社会では、立派な商品だ。

 スポーツイベントの感動は、個人がその瞬間に集団と一体化する幻覚(夢)に起源する。博報堂は、イベントの価値測定手法「EVM」を開発し、イベントの特性である「感動」を指標化し、その評価属性として「感動」を3つの価値群と10個の要素に分類している。その冒頭にくる1番目は「陶酔価値」である。

 陶酔。それは「夢」と「感動」の関係を説明している。感動は夢から生み出されているのだ。すると、焦点は「夢」に当てられる。どんな夢だろうか。

 1964年の東京五輪も、2021年の東京五輪も、夢のイベント。前者は、その後の高度経済成長によって実現する夢だったが、後者は、失われた30年やコロナの降臨などで夢が破れた中で見る瞬間の夢であり、その陶酔価値は、未来ビジョンの実現ではなく、現実苦痛の緩和にある。

 陶酔効果が消えたとき、つまり「祭りの後」は、相変わらずの現実が待ち構えているのだ。いや、それだけではない。気付いたら、疫病の拡散ですでに「後の祭り」になっていたかもしれない。

 「祭りの後」には、「後の祭り」にならぬよう、ただ祈るのみだ。

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