ケバブ雑想、働かなくても暮らせる海外とは

 無性にケバブが食べたくなったので、トルコ料理店から宅配を頼んでみた。暖かいうちに届けられたケバブはやはり美味しく、赤ワインにも合う。なぜケバブかというと、数日前に過去のアルバムを整理していたら、トルコ旅行の写真が出てきたのが発端だった。

 ケバブを食べながら、YouTubeでトルコ関連の検索をしてみた。すると、「貧乏人のトルコ移住」「トルコなら働かなくても生活できる」「トルコでのニート生活実録」類のものが続々と出てくる。トルコはニートに優しい国かどうか定かではないが、なぜ最近の日本人は海外移住を「格安生活」と関連付けるのだろうか。

 90年代前半、日本人は香港で働くことがブームだった。企業駐在員には誰もがありつけられるわけではないので、安月給の現地採用でも海外で一旗挙げようとする若い日本人がたくさんいた。

 続いて2000年頃からは、中国ブームになった。あの時、私の会社が上海で雇った日本人(ほとんど女性)はみんな、筋金入りの「中国屋」だった。自力で中国語を覚え、給料が安くても文句ひとつなく頑張ってキャリアを積もうとした。しかし、徐々に状況が変わった。2010年頃になると、上海では、怪しい日本人が増え続けた。某メディア関係者は、「上海は東京のゴミ捨て場だ」とまで言い放った。

 そして2020年代になると、こうした無力な貧困海外生活がブームになりつつある。トルコ編もそうだが、1か月数万円で暮らせるような節約術が紹介されている。数年前、大前研一氏が著書で日本社会を「低欲望社会」 「大志なき時代」と位置づけた。

 実際のところ、このレベルを超えている。この数年でさらに堕落が進み、「無欲・無志」の状態を呈している。個人次元の価値観を批判するつもりはない。ただ社会全体のモード転換となると、それは危険だ。

 数年後の世界では、日本人といえば、「貧困者」のイメージが定着しかねない。

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