A: タバコは健康に悪い。
B: タバコでリラックスできる。
AもBも、紛れもなく真実である。しかし、真実はなぜか対立するのだ。実はどちらも真実ではない。単なる解釈にすぎない。
ニーチェがいう。「『 真実』など存在しない、あるのは『解釈』のみである」
タバコは、身体の健康に害を与える一方、精神的健康(ストレス解消・リラックス)に有益である。もちろん、ストレスをため込んで身体の健康を害することもある。このように、いろんな解釈がある。
コロナについては、医学的エビデンスをもって科学的に分析する人もいれば、無根拠な陰謀説に熱中する人もいる。これも同じ。実はどっちも解釈にすぎない。
前者は、既知のエビデンスに依存しているだけに一見科学的にみえるが、しかし将来に分かってくる既知が現在の未知であるから、将来が現在を否定したり、修正したりすることも多々ある。
後者の陰謀論は、エビデンスに立脚していないだけに弱い。しかし、証明できないものは存在しないことにならない。そうした意味で、前者も後者も仮説を元に自説を展開しているにすぎないことが分かる。
ニーチェが「『 真実』など存在しない、あるのは『解釈』のみである」と説くわけだが、実はニーチェの説それ自体も、世界に対する一種の解釈に過ぎない。
世界がいかに虚無か。だからこそ、人間は力いっぱい生き、世界に意味づけていくのだと、ニーチェの能動的ニヒリズム(虚無主義)の価値所在である。そう捉えているのは、私の解釈である。
真実を求めることは、実は解釈を求めることでもある。