「上から目線」の正体

 「上から目線」

 実はその多くは相手による意図的な目線発信でなく、自分の本能的な目線受信、感知なのだ。フラットと言われる世界の存在を本気で信じ込むのが、幼稚性の現れだ。

 上から目線と感じたら、それを動機づけに懸命に勉強するか、その人と絶交するかの選択がある。間違っても抗議しないほうがいい。それは結果的に一段も二段もより上から目線を招致するだけ。自分も楽しくないし、成長の機会を失う。

 この言説自体も「上から目線」と感じられるかもしれないが、私自身の方針だ。補足すると、上記やっていれば徐々に、上から目線を感じる頻度が減っていくはずだ。人間の目線に上下があるとすれば、そのほとんどが感知から生まれる。

 政治家、リーダーは、上から目線があった方がいい。いや、なくてはならない。全体を長期的に捉える。俯瞰的目線は、上から目線以外の何ものでもない。

 上から目線をタブー化した今日において、民主主義下の政治家は揃って「寄り添い」のできる低い位置の目線を取り、馬鹿になったのだ。いや、馬鹿ではない。彼・彼女たちは意図的な低い目線発信をしているだけで、その目線で政治ビジネスをやっているわけだ。

 ほとんどの庶民は、民主主義を盲信し、自己存在を過剰拡大している。しかし一方、来る日も来る日も、変わる変わる政治家が登場しても、自分の生活だけは変わらない。一層苦しくなるだけ。

 多くの政治家は実は内心、民衆を見下しているのだ。羊の群れであるからだ。

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