世界のグループ分け、平和的に生きるためにこれだけは知っておきたい

 ウクライナ戦争で欧州や北東アジアは暗雲が立ち込めている。一方、私が住むマレーシア・東南アジアはどちらかといえば、平和そのものだ。来る日も来る日もトロピカルな青空や緑、そして咲き乱れる花々。戦乱で命を落とし、愛する家族や大切な資産を失い、苦難や恐怖、そしてインフレによる生活苦を耐え忍ぶ人々のことを考えていると、心苦しいばかりだ。

平和なマレーシア暮らし

 こんなときだからこそ、戦乱や闘争を眺めながら、平和について冷静に考えるチャンスなのだと、私はそう思った。目の前にあるこの平和は果たして長続きするものか。平和を祈るというが、祈るだけではすまない。

 今日の世界は、3つのグループに分かれている。それは昔毛沢東が打ち出した「第三世界論」とは異なる3つのグループである――。

 まず、第1グループは、米国、欧州のほぼ全体、アジアの日本、韓国とシンガポール、いわゆる洗練されたエリート的な「王道・与党グループ」である。このグループのメンバーである欧州や日韓(台湾も含む)はもはや、立場上無条件に米国に追従するほかに選択肢は残されていない。ただしシンガポールだけはユニークな存在であり、第2と第3グループにも二股ないし三股をかけている。

 次に、第2グループは、ロシアと中国を中心とするいわゆる修正主義的な、いささかならず者的な「邪道・野党グループ」である。第1グループから権力を奪う(世界の新秩序をつくり上げる)までいかなくとも、第1グループに支配されたら生きていけないという自覚・危機感の下で第1グループと戦っている。今回のウクライナ戦争はまさにその決戦となる様相を呈している。

 最後に、第3グループは、すなわち非同盟の「一般・大衆グループ」である。 彼らは、グローバル化の中でちょっとした金が稼げた(中東の成金産油国は例外)としても、基本的に上位特に第1グループに搾取されている。そのなかに経済的に第2グループに依存する国々も多数含まれている。彼らはむしろ、2つの上位グループの共存と程よい相互牽制からより多くの利益を引き出そうと期待しているので、決して旗幟鮮明に従属する上位グループを決めたくないのだ。

 第3グループはつまり「勝ち馬に乗る」集団であり、私が住むマレーシアもその一員で、とりあえず平和なのだ。この事実を第1グループも第2グループも知っている。だから上位グループの最終決戦で勝ったグループはすべてを手中にし、負けたグループはすべてを失うという「ゼロサムゲーム」なのだ。

 「歴史の正しい側」に立つか、それとも「間違った側」に立つか、米国が第3グループに問いかけたところ、第3グループの本音は「勝つ側に立つ」というわけだ。「勝つ側が正しい側」であるからだ。シンガポールのリー・シェンロン首相が3月末に訪米したのも、このメッセージをバイデンに伝えるためだった。

 最後に触れたいのは、日本。一番不幸で損しているのは、日本は第1グループに所属しながらも、実質的にすでに第3グループに転落しつつある(した?)ことだ。今回のウクライナ戦争で日本は明確にロシアを敵に回した。次は中国に対する立場が問われよう。いずれにしても日本は第1グループに賭けるしかない。勝負には3つのシナリオしかない。

 まず、第1グループが勝った場合、日本にとって天国が待っているかというと、まったくそういうことはない。疲弊化した日本はより速いスピードで第3グループ入りするからだ。つまりに「勝者グループ中の敗者」に転落する。

 次に、第2グループが勝った場合、言うまでもなく、日本には地獄が待っている。場合によって、露中に北海道と沖縄ないし九州という南北の両端を取られれば、事実上の亡国になる。

 最後に、勝負つかずに第1グループと第2グループが引き分けになった(あるいは最終決戦が回避された)場合。つまり新冷戦時代に突入した場合、日本はその最前線に立たされてしまう。いってみれば、日本はアジアのウクライナになることだ。

 国際政治において、善悪の判断を差し挟む意味はない。純粋に平和な生活を維持したい、というのはほとんどの一般人の、決して贅沢といえない、小さな願望である。しかし、贅沢でないはずの平和願望はこの世においてすでに、贅沢品になったのである。

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