ベトナムでの「ボランティア勉強会」トラブル事件

 11月9日付でアナウンスした通り、当社は来年からベトナム国内でのコンサル事業から撤退する。ただし、向こう1年間(2023年)は、既存顧客に対する無料サービスを提供し、在越日系企業に対するボランティア活動にも取り組む。

 ということで、知人経由でダナン地方の日本商工会に現地日系企業向けのボランティア勉強会の開催を提案した。ハノイやホーチミンよりも情報量の少ない中部地方を優先対象としたいからだ。しかし、戻ってきた回答は、「企画を申請してください。会場も運営も商工会は用意せず、自腹でやってください」と。

 落胆した。ポランティアで現地日系企業には利益であり、もう少しばかり暖かく迎え入れられても良さそうではないかと、期待とのギャップが余りにも大きかったからだ。もちろん、そこまで時間、労力と費用を投入するつもりはないので、計画中止を決めた。

 「そもそも、勝手に期待しすぎた」という批判(匿名コメント)を冷たく感じたよりも、正直者が馬鹿を見る感が強かった。ただ、商工会が間違ったかといえば、そうではない。彼らは単にルールに則った対応をしたに過ぎない。手続的な正当性がある。

 日系企業向けのいわゆる無料セミナーのほとんどは、コンサル業者の集客目的で日常的に行われている、という現実がある。それを承知の上で、商工会は会員企業向けの情報提供と業者の集客目的という矛盾を抱えながら、ある程度の「ファイヤーウォール」を作らざるを得ない。それは、企画の審査手続きと諸コストの業者負担にほかならない。

 逆に言うと、私からすればそこまでやってしまうと、本当にボランティアなのかと疑われても文句が言えないので、当社ベトナム現地事業の終了を宣言したうえでの提案とした。

 もしや、私の想像を超える高い志をもってボランティアをやり遂げとうとするコンサル業者が存在しているかもしれない。それは「以小人之心、度君子之腹」、小人の心で君子の腹を推し量る、まさに私の下衆の勘繰りで、罵倒されてしかるべきだ。

 ボランティアは見返りを期待してはいけないが、持ち出しにも限度がある。何より、一般の集客セミナーと間違えられるところは私には耐えがたいものだ。志が低く、下衆の勘繰りと批判されても、甘受する。どんな価値判断をされても、私という現実認識が存在する。

 商工会を含めて日本型組織は、ルールを守る。一度できたルールはいつまでも守り続ける。そこで、ルール順守コスト(順法コスト)や機会損失を評価し、ルールを修正・微調整するメカニズムがあれば、日本型組織は天下無敵になる。

 「ヒューリスティック」的なアプローチとは、一気にオプティマル的に最適解を求めずに、アバウトなところでとりあえず妥協し、徐々に軌道修正を繰り返し、最適解に近い解を得る方法である。状況が刻々と変わる変化の早い現代社会では、時と場合にもよるが、オプティマルよりも、ヒューリスティックのほうが威力を発揮する場面も多い。

 その前提はたった1つ、常に今のルールを最善と思わないことだ。ルールは手段にすぎない。目的と手段の倒錯、手段の目的化があってはならない

 私は法律専門家である。ルール作りには常に「ただし書き」を付ける習慣が身についている。「ただし書き」とは、本文に対する除外例や例外事項を規定する、非常に大事なものである。ルール作りも然り。「ただし書き」を付け、取引コストを最小限にし、機会損失を避け、利益の最大化を実現する。

 商工会に対してこういう話をすると、「上から目線」や「余計なお世話」とまで明言されなくとも、「貴重なご意見」として「参考にさせていただく」との社交辞令が戻ってくるだけだろうから、やめておくことにした。これもまたもや、下衆の勘繰りでごめんなさい。

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