コロナを生き抜いた店、なぜ今潰れるのか?

 長いコロナ期間を生き抜いた日本の飲食店は、なぜ今になってバタバタ倒れ始めたのか?閉店に踏み切った某地方の経営者K氏がこう語る――。

 「本来潰れるべき店がとうとう潰れた」と。

 その一言にすべてが詰まっている。コロナ期間中の諸々の規制が確かに1つの問題ではあったが、ただすべてではない。コロナは可視的で、誰もが短絡的にコロナに責任を転嫁したところで、本質を見失う。では、K氏いわく「本来潰れるべき店」とはどんな店だろうか。

 私の言葉に置き換えると、むしろ昔は「本来店に来れない客が店に来ていた」からだ。つまり、今までが「非常態」であって、今のは「常態」回帰なのだ。日本国も然り。戦後高度成長の40年が「非常態」であって、その後のいわゆる「失われた」30年は「常態」回帰である。

 そもそも1億総中流はあり得ないことだ。だが、いざそれが現実(非常態)になったとき、もっとも変質したのはマーケティングのセグメンテーション分野にほかならない。日本中のサービス業に限っていえば、そのほとんどがマス向けになっている。すると、店舗数も星の数ほど増えてしまった。

 しかし、中産階級は溶解し、下層転落し始めると、今まで通っていた店には通えなくなる。来店の回数が減り、客単価も下落する。そこで過剰供給になった店同士は、熾烈、いや残酷な価格競争を始める。

 「いつも買っていたもの(サービス)を高く感じた」客とは、その「転落グループ」であって、「いつも来ていた客が来なくなった」店は、「転落グループ」を客層としていた店である。そこで、方法は2つ。1つは値下げ、もう1つは客層を変えることだ。問題はここから生まれる。

 値下げと「客層下げ」を同時に行うのは正しいマーケティングだが、従来の客層を維持しながらの値下げ競争は自殺行為に等しい。日本中のほとんどの飲食店(広義的サービス業として捉えてもいい)は、この点について明確な理解をもっているように思えない。

 日本人のほとんどが貧しくなったのだから、貧しい人を客とする業者と富裕層を客とする業者はそれぞれの経営・マーケティング戦略を使い分けなければならない。しかし、それができていない。なぜなら、日本人の貧困化という事実を直視できないからだ。

 消費者も事実を直視できない。元々消費していたもの(サービス)が消費できなくなることを「相対貧困」と称し、国や社会に責任を転嫁する人たちは、事実認識価値判断(善悪)を混同し、事態を悪化させる。

 消費活動は、生命維持上欠かせない必需品の消費とそれ以外の選択消費に分けられる。必需品消費もぎりぎりの予算なのに、選択消費に手を出す多くの「身分不相応」な消費者は、選択消費だったものを自分の必需品消費と誤認している。

 それは「参照点バイアス」(行動経済学のプロスペクト理論)の概念で説明するとわかりやすい。基準となる参照点があると、それに強く影響を受けるというものだ。いったん豊かになった人は貧困に転落しても、豊かだった時代の生活や消費行動を参照点とし、速やかに消費行動・習慣を変えられない(ダウングレードができない)からだ。

 貧しくなったら、貧しい人らしく暮らすことが大事なのだ。私自身も人生3度ほど貧困転落を経験したことがある。それをよく理解している。テーマが違うので、ここで語らないが、結論からいえば、這い上がればいい。

 そんなところで、日本中にそもそも5000円、いや3000円を出して居酒屋に行って飲み食いできる人はどんどん減っている。1000円で居酒屋で飲むなどそもそも無理なので、飲むのをやめた方がいい。一方、店もそういう人を客にしないほうがいい。それができないと、お互いに苦しむだけ。

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