寿司ペロ事件のもう1つの視点、日本社会の劣等性を知る

 スシロー寿司ペロ事件。高校生の男性客が卓上の湯呑みや醤油さしを舐め回して元に戻し、唾をつけた指でレーン上の寿司に触れるという迷惑行為を撮影した動画が拡散され、大問題となった。スシローへの来店客が激減し、一部の店はほぼ無客状態だと報じられている。

 「犯人」に対する非難はすでに溢れている。私はここで、それよりも、一斉に消費活動を停止した大衆の愚と偽を指摘したい。

 「愚」とは、個別迷惑行為にあたる蓋然性の低さに無知であることと、大衆の「一斉行動」に無思考状態で加わる無知のこと。特定メーカーの製品に欠陥品が発覚した場合、少なくとも同じロットで生産された製品に問題はないかと購買を躊躇うこともあるだろうが、特定客による偶発的な迷惑行為で、大衆が脊髄反射を引き起こすのは、「愚」の問題である。

 「偽」とは、日本人の道徳的偽善性。こういう時だから、被害者となった寿司店を助けるべきではないか。「犯人」への批判だけは凄まじい勢いだ。1億総動員で一斉に正義正論が飛び交う。誰もが正義の代弁者だが、被害者の救済には目を向けようともしない。

 結局、日本人大衆が弱者を同情したり、正義を唱えるのは、口先だけの偽善にすぎない。いざ私益と天秤にかけると、脊髄反射的に即時行動(作為・不作為)に出る。真の正義とか公益とか、日本人は無関心。

 正義とか公益とか、それらに無関心で、私利私益を優先することは、何も悪いことではない。人間の本能であるから、善悪の価値判断で批判すべきではない。日本人に限った話ではない。諸外国にも共通している。例を挙げよう。

 中国が台湾進攻するかもしれない。戦争が起きた場合、台湾人はどうするか。台湾メディアが若者への街頭インタビューを報じた(2023年2月2日付中天新聞)――。

 中国との戦争には勝てない。
 負け戦は戦いたくない。
 死にたくない。
 ダメなら投降すればいい。
 戦うのをもっと若い人たちに任せる。
 外国へ逃げたい……

 国益よりも私益を優先する。台湾の若者たちは率直に本音を語り、美辞麗句の正義やら何やら一切ない。さすがに国家(公益)のために献身するとなれば、躊躇い、逃げ腰になるのは理解できるが、一方、せいぜい偶発的な寿司唾付け事件だけで引いてしまう日本人。社会正義や公益といった意味においても、被害となった店の応援へ行こうと、毅然とした態度を取れない日本人大衆は、悲しい限りだ。

 特に「弱者救済」とか「公平公正」とか叫んでいる大衆のその偽善、ダブルスタンダードぶりには、言葉も出ない。社会学者・東京都立大学教授の宮台真司氏は、日本社会の劣等性を痛烈に批判している。そのなかの1つは、「公共精神の欠如」である。日本人の利益擁護は、個人か所属共同体に限られている。「社会」「公共」という概念はない。

 日本は外敵侵略に遭遇した場合、国民が一致団結して国家保衛戦に身を投げることはあり得るか。絶望的だ。敗戦になって白旗を上げて降伏するくらいだったら、今のうち素直に姿勢を改めたほうが賢明だ。戦略戦術的にうまく運用すれば、良い条件が手に入るかもしれない。

 最後に加えておこう。偽善も人間の本能の1つ。私は悪としていないし、善を偽って偽善の姿勢で偽善を批判するつもりもない。ただ自分自身の利益、時には核心的利益にまで被害が出るとすれば、それは「愚」、いや「極愚」の世界だ。それだけはやめたほうがいい。

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