AIに淘汰される人たち、淘汰の3段階

 ChatGPTはプログラミングにも活用され始めた。ChatGPTは自然言語処理の能力を持ち、プログラミングの質問応答、コードの生成補助、プログラミングのアイデア生成、コーディングの指導やフィードバックなどで、人間との対話を通じて情報をやり取りすることができる。

 この手の話をすると、「人間にしかできないことがあるので、AIが完全に人間に取って代わることができない」という反論は必ず出る。それは正しい。ただ、「人間にしかできないこと」のできる人はどのくらいいるか。そうでない人がAIに取って代わられることを忘れるべきではない。

 ChatGPTをプログラミングに活用する場面がどんどん増えている。ドラフトを書かせ、人間は修正やリライトを加え、人間とAIのやり取りでプログラムを完成していくのに、従来人間がやっていた仕事は、半分ないし2割程度にまで削減されるという。そのためのエンジニアの人数・人件費削減はつまり、淘汰を意味する。

 ChatGPTに丸投げして頼り切る人は、AIの奴隷で、それも淘汰対象だ。AIとの対話と付き合い方では、いかに問いを投げかけ、いかに指示を与え、いかに修正を加え、いかにAIに学習させ、いかにより使いやすく精度の高いAIを育て上げるかがポイント。そういうAIの主人だけがAIと共生でき、より高い利益を出していけるのだ。

 何もプログラマーに限らない。AIとの付き合いについて、3段階に分かれる――。

 第1段階は、単純淘汰。単純にAIに取って代わられる人で、AIを使うことすらできない人も多く含まれる。このグループはまず淘汰される。厳格にいうと、ホワイトカラーから淘汰され、ブルーカラー入りする余地は十分ある。

 第2段階は、奴隷淘汰。AIを使う立場にはいったん立てたにもかかわらず、AIに仕事を丸投げし、AIに頼り切り、自分の頭を使わず、とうとうAIの奴隷に成り下がる。そこでその人たちも容赦なく淘汰される。

 第3段階は、弱者淘汰。ここまできて、ようやく「AIの主人」になった層が同じ土俵に立って、弱肉強食の競争と淘汰が始まる。

 「AIの主人」とは、AIを使いこなせる人たちのことをいう。たとえば、プログラマーはAIに淘汰されずに、かつAIの主人になるためにどんな条件が必要か。某IT企業の経営者がこう指摘する。

 「開発作業にあたって、AIに的確に目的や機能を伝える能力が求められる。エンジニアは、その能力を高めて行くしかない。GTPはかなりのスピードで進化するだろう。この先は、エンジニアがAIをモノにするか、AIに食われるかは、エンジニアの努力次第だ。ITの世界もご多分に漏れるず、職人気質の世界で、どうしても腕一本で生きていけると思いがちだが、時代が変わったのだ」

 AIを使ってより大きな付加価値を生み出せるのか。たとえAIの主人にかろうじてなれたとしても、「主人力」の差で弱い主人が淘汰されていくだろう。

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