左手のピアニストと人生史の書き方

 土曜の夜、左手のピアニスト、「幻の巨匠」と言われるレオン・フライシャー(Leon Fleisher, 82歳)の上海公演。

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 レオン・フライシャーはサンフランシスコ生まれ、9歳からシュナーベルに師事、24歳の54年、ベルギーのエリザベート王妃国際コンクールで優勝し、世界を舞台に一挙に踊り出る。が、キャリアがもっとも輝くその絶頂期1965年、突然右手の指が動かなくなる。ジストニアを患った。右手の自由を失うことは、ピアリストの生涯を奪うものである。彼はやがて表舞台から消える。

 30余年を経て、95年に再度復活したレオン・フライシャーは、すでに67歳になっていた。リハビリを続けながらわずかな左手による演奏や指揮、教育活動に取り組み、2004年に再び両手でのレコーディングを果たす。

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 上海公演の一曲目は、バッハのカンタータ 第208番より「羊たちは安らかに草を食み」。華麗に踊る左手と若干動きの鈍い右手、アリアの美しいピアノ曲で思わず息を呑む・・・

 前方から4列目中央やや左よりの席に座る私は、彼の手の表情がはっきり見える(その目的で、座席を指定した)。両手の明らかな表情差が彼の人生物語を生々しく語ってくれる。30年以上もピアニストのキャリア生涯を失いながら、心が一刻もピアノを離れることなく、なお、ピアノに向かい続ける彼の人生、苦痛、葛藤、辛酸、そして幸福、半世紀以上の時の流れに刻み込まれた歴史に想いを馳せながら、私は涙が溢れる。

 美しいピアノの音色と時が一緒に流れる。そして、時が歴史を織り成す。一人ひとりの人間が、自分の小さな歴史を書き続ける。私は、音楽の門外漢だ。コンサートホールの空気を吸い、美しい音色に陶酔し、そして、ピアニストと心の会話をし、人生史の書き方を勉強しにきたのだった。

50595_4カーテンコールの歓声に応えるレオン・フライシャー

 2011年1月29日、レオン・フライシャー上海公演・ピアノリサイタル(独奏会)の曲目

 ● バッハ カンタータ第208番より「羊たちは安らかに草を食み」
 ● ブラームス 愛の歌ワルツ第52番
 ● バッハ ピアノ独奏用「左手のためのシャコンヌ」二短調(無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番二短調 BWV1004より)
 ● シューベルト 幻想曲D940
 ● ドヴォルザーク スラブ舞曲第46番変イ長調 、第72番ホ短調、第46番ト短調 など
(一部、奥さんのキャサリン・J・フライシャーと連弾)

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