11月2日(木)、ハノイ出張中。午後一番に予定がないので、早めのお昼を取ろうと、11時からキンマー通りの横丁にある焼鳥店「炭ぼうず」に入り、昼飲み。焼鳥は絶品!日本人経営者だとは聞いたが、店内に日本人がいず、焼き台に立つベトナム人シェフの腕が日本人並み、いや、超えているかもしれない。
別店の話だが、ハノイの日本食横丁リンラン通りに、1軒の目立たない焼鳥店がある――「とり吉」。話によると、以前この炭ぼうずで修行したベトナム人が一族で立ち上げた店だった。あれも、味が抜群だった(参考:『<ハノイ>ベトナム人が経営する1軒の焼き鳥屋』)。
日本人が作った焼き鳥とベトナム人が作った焼き鳥。どこが違うかといえば、味はほとんど一緒だが、ベトナム人独自経営店の場合は、現地客に合わせて様々な創意工夫を凝らした形跡が随所に見られる。熟練を超えて、クリエイティブの範疇に入るということだ。
これに似たような話は中国にもたくさんある。経営に失敗した日本人オーナーから独立した中国人料理人が逆に大成功を収めたという話(参考:『<上海>和食「暁」とショウちゃん、古巣閉店で独立成功』)。サバイバル力のある人は失業しない。逆に古巣が消えたことが、一歩を踏み出すきっかけとなる。
この一歩が大きい。この一歩を踏み出すには、動機付けと利害関係の調整が欠かせない。人様の会社・店で働くのと、自分のために働くのと、全く異なる。日本企業、特に大企業で働くには、何よりも「ミスをしない」ことに価値が置かれる。そのため、「作為」よりも「不作為」が利益になる。
経営者目線。――どんな企業でも従業員に経営者目線を求める。だが、経営者の義務と権利を従業員に与えないと、無理だ。いや、全然無理だ。なぜならば、日本企業の経営者自身も、そもそもサラリーマン経営者であり、そのほとんどがいわゆる経営者もどきであるからだ。
ベトナムをはじめとするアジア、そして中国では、いまだに多くの日本人が現地人に「教えてやる」という上から目線を持っている。まず現地人から学ぶ姿勢がなければ、アウトだ。日本人の持つわずかな技術やスキルを抜かれたところで、捨てられるだろう。その日はもう遠くない。しかし、自覚と危機感をもつ日本人はほんの一握り。
日本の衰退はもはや、必然的帰結だ。