大衆の反逆と民主主義による独裁、台湾劇場は本日も満員御礼

● 醜い大衆の実体

 先日休暇先のビーチで、オルテガの『大衆の反逆』を精読。オルテガは100年前から今日の腐り切った超民主主義時代を予測していたかのようにリアルかつ痛烈に批判。大衆は己の際限なき欲望を、義務なき権利に読み替えるだけの民主主義が暴走すると。今はまさにそういう時代である。そうした意味で独裁専制が遥かに健全で清らかである。

 「大衆」とは、オルテガいわく「みんなと同じで安心する」人たちのことだ。これは、学歴や職歴、職業、資産、収入、出自、身分とは全く関係ない。教授や資産家、政治家ないし皇族の大衆もいれば、農家やワーカーのなかにも貴族がいる。言っておくが、天皇系・皇族の大衆化も日本の問題。天皇系・皇族は庶民に寄り添うのはいいが、大衆になってはならないのだ。
 
 オルテガいわく「大衆」と「貴族」の違い。「大衆」とは、権利を主張し、欲望を膨張させる凡庸な大多数で民主主義の主役である。一方、「貴族」とは、まず義務を考え、高貴さを追求するほんの少数の人たちだ。

 大衆とは?ヒトラーを支持したのは、ドイツ国民という大衆。太平洋戦争を支持したのは、日本国民という大衆。そして今、台湾独立を支持したのは、台湾国民という大衆。歴史から学べない、学ぼうとしないのは、大衆である。彼らは本気で主人公になったつもりで表舞台に躍り出る。

● 民主主義による独裁
 
 「民主主義は、世界の普遍的唯一の選択」という規定それ自体が、独裁以外の何物でもない。民主主義に自信があるのなら、独裁専制の共存を容認し、民主主義の欠陥を謙虚に認め、反省し、修正していくべきだろう。それこそ民主主義の進化ではないか。しかし現今の世界では、民主主義にどんなに小さな反論をしただけでも、たちまち独裁者の仲間というレッテルを貼られる。

 まさに民主主義による独裁であり、言論の自由や思想の自由を、社会的制裁によって剥奪するものだ。それだけではない。経済面では専制に分類される国家や産業、企業に対して、自国の国家安全を理由に経済制裁を加える。しかし、現実はどうだろう。中国やロシア、イランといった独裁専制国家が見事にこれらの制裁を乗り越え、もう1つの国際社会を築き上げたのではないか。

 この期に及んでもなお、民主主義の敗因を反省する色が皆無である。今、自信を持ち始めているのは、民主主義陣営ではなく、独裁専制側である。世界は変わる!

● 民主主義劇場は本日も満員御礼

 民主主義は劇場、お祭り騒ぎ、ショーといった軽薄なものだ。2400年も前に、プラトンは、「劇場支配制」という表現を使い、民主主義は無知で貧しい人々に迎合することで善良な統治を破壊するシステムだと、痛烈に批判していた。

 民主主義制度下の政治家は選挙民に「皆さんの権利」と叫んでも、「皆さんの義務」は一言も言わない。義務など言ったら、幻滅で人気をなくして当選できないからだ。結局、果たせない義務が経年肥大化し、莫大な国家債務となり、最終的に戦争につながる。

 戦争は、債務を踏み倒すための唯一の手段である。経済の自立ができず、核を持たず、弱い二等国や三流国は、まず代理戦争を引き受ける。ウクライナも台湾も日本も同類だ。

 世界中から「選挙観戦者」たちはここ数日(2023年1月12日)台湾に殺到している。彼らの殆どが僅かな原稿料や研究費、広告料目当てで仕事をこなしているだけで、選挙の結果に何ら責任も取らない。民主主義ビジネス、イデオロギー産業は全て経済的利益。そして世の中、最も売れている商売は、漏れなく大衆をターゲットにしている。

● 台湾劇場は喜劇か悲劇か

 台湾へ好意を示すいわゆる日本人保守派に聞きたい。日本の国益と台湾や米国の国益、いったいどっちを優先するか。シンガポールを見よう。彼らはつねに本物の国益を見据えている。今回の台湾総統選は、独立か統一でなく、武力統一か平和統一かの選択である。善悪もない。リアリズムの世界である。民主主義至上、イデオロギーが経済的利益を全て上回る。そういう人がもしいたら、それは尊いものだ。しかし、いるのだろうか?
 
 中国が台湾の選挙に介入していると批判するメディアが多い。アメリカは介入しないのか?民主主義選挙の最大の特徴・特典は、他国介入可能であること。だから、アメリカは執拗に他国へ民主主義選挙制度を押し付けようとする。独裁専制国家は、選挙介入ができないので、いくらアメリカでも歯が立たない。

 台湾総統選は、予想通りの結果が出た(2023年1月13日)。台湾国民の選んだ結果であるから、その結果に伴う利益、不利益、あらゆるリスクないし戦争、全て台湾人が引き受ける。これが大人の民主主義制度である。自己責任とはこういうことだ。

● 軽薄な米欧、進化と退化

 人類文明史はアジアに始まり、欧米ではない。産業革命でたまたま300年間だけ欧米が瞬間的リーダーになった。民主主義はアングロサクソン白人がアジアなどの他国を制すための道具に過ぎない。台湾の選挙などもまた然り。

 相対論。人類社会は進化を遂げながら、絶えず退化している。人権も罠だ。日々次から次へと権利を主張していくが、義務の増加は置き去りにされている。進化の総量は、退化の総量に等しい。権利の総量は、義務の総量に等しい。貸方と借方は、常に総量相当。複式簿記の基本原理だ。ツケは回ってくる。

● メディアと大衆の劣化

 私は執筆業で糧を得ているわけではない。読者のご機嫌を取ったり、嗜好に迎合したりすることは絶対にしない。どんなメディアでも書けないものを書く。私は世の中の8割の大衆を見下しているのも事実だ。2割のまた2割、つまり4%の優秀な貴族層から学んでいる。人間には、貴族の高貴さが必要だ。

 普通の商品は、供給競争の激化と共に品質が向上する。しかし、メディアという商品は、逆だ。ネットで情報が溢れれば溢れるほど、メディアの品質が低下する。なぜなら、メディアは大衆を繋ぎ止めるために、大衆の見たいもの、読みたいもの、聞きたいものを競って出すからだ。

 大衆は頭が悪いから、基本的に真実や本質を嫌っているし、忌避する。真実や本質を売りにするメディアは、ビジネスとして成り立たない。そこで、大衆の劣化がますます進行する。悪貨は良貨を駆逐する。愚者は賢人を駆逐する。こういう時代である。

タグ: