日本をダメにするのはリベラルでなく、似非保守だ

 日本をダメにするのはリベラルでなく、似非保守だ。結論から言おう、日本の保守、特に無思考の「親米保守」は紛れもなく「似非保守」だ。一部、偽保守もいるが、ここで便宜上「似非保守」という概念で括ってしまう。

● 守るべきもののない「保守」

 「親米」が保守の符号になっている。符号の意味は考えなくなる。何を隠そう。私自身もトランプの落選までは考えていなかった。それについて、もちろん深く反省している。符号の意味を考えるには、そう難しくない。「なぜ」を問うことだ。「親米は果たして日本の国益になるのか」という問いだ。

 しかし、この問いをめぐる議論は日本でタブーにされている。保守とされる与党自民党は親米で、とりわけ「親米」も「自民党に投票する」ことも、保守の符号になっている。符号になった時点で、思考停止に陥る。自民党がどんなに腐っても、ほかに政権担当能力をもつ野党がいないから、自民党に投票する。

 これが、日本のいわゆる保守の構図だ。

 保守とは、従来からの仕組みを維持し、守るための政治指向だ。「守る」とは、守るべきものがあるから守るわけだ。従来の傾向からすれば、伝統的に資産を多くもつ富裕層、資産階級を優遇するのは保守政党であり、保守右派はそれに投票する。

● 保守になぜ貧しい人が多いか?

 しかし、奇妙な現象が起きている。日本のいわゆる保守層の中に何故か貧しい人が多い。本当なら逆になっているはずだが、なぜだろうか?一方、リベラルの中にも貧困者が多い。そこで保守の貧困層もリベラルの貧困層もある共通点があることに気づく。それは憎悪感情である。相違点は憎悪対象が違うことだ。リベラルは「内」であるのに対して、保守は「外」、とりわけ中国だ。

 貧困層はなぜ、憎悪感情をもつかというと、自分の貧しさや不幸の原因や責任を誰かに転嫁しなければならないからだ。「誰か」のせいで不幸になっているのだ。この憎悪感情は、ルサンチマンに根差し、共産主義の燃料になるものである。つまり、マルクスいわく「階級闘争」の原理所在だ。

 その「階級闘争」とは、プロレタリアート(無産階級・労働者階級)対資本家階級の構図だったところが、現在プロレタリアートのなかに、ちょっとした生活資金ないし少額投資までもっている「少産階級」も加わった。それだけの違いにすぎない。大きく変わったのは、憎悪対象ないし闘争対象だ。マルクス時代の広義的な資本家階級ではなくなり、特定の外国だったり、人権侵害者や差別主義者に転換させられたのである。
 
 結局、右も左も与えられた「符号」を追いかけているだけ。貧すれば鈍する。貧乏人には頭の悪い人が多いから、この本質に気づかずに来る日も来る日も「符号」を追いかけるだけ。この符号は、少数の支配者階級(エスタブリッシュメント)が大多数の被支配階級を効率よく統治するためのツールになっており、誠に都合のよいツールである。

● 過去対するセンチメンタルな幻想に浸かる保守

 非富裕層や貧困層が保守に傾くもう1つの理由は、古き良き時代に対するセンチメンタルな幻想である。タイムスリップすれば自分にとっての理想郷へ回帰できるという幻想、妄想である。だが、仮にタイムスリップできたとしても、状況は何も変わらないし、もっと悪化するかも知れない。なぜかというと、支配者の帝王学はギリシャ哲学時代やローマ帝国時代から今日に至るまで、何1つも変わっていないからだ。

 少数の支配者階級の知恵総量は、遥かに大多数の被支配者階級愚民のそれを上回っている。その上公権力、暴力装置、情報統制、メディア(プロパガンダ)、現代の金融資本と融合した時点で断然たる優位性を持つ。

 勝ち目がないのだ、大衆よ。馬車馬や奴隷となる大衆を生かすことが支配者の大前提。大衆はどうか自害も一揆もせず、死ぬまで務め上げ、日々つかの間の快楽としてスマホをいじり、SNS上で負け犬の遠吠えで傷の舐め合いをし、ガス抜きすれば明日も労働に復帰し再生産に取り組み、できればせっせと瞬時の性的快楽の下でジュニア奴隷でも設けられればなおよしと。それが今の社会である。

 生の意義を見出すべく、憎悪も闘争心も含めて様々な生き甲斐が必要だ。憎悪や闘争心を大衆に植え付けるのは、支配者階級・為政者の仕事だ。

 よく考えてみると、人間って何だ。原点は単純明快、たった1つだけ、どうやったら幸せに生きられるかだ。そうだろう。それだけではないか。しかし、大衆、似非保守の愚民たちは原点を見失い、来る日も来る日も、支配者層に翻弄され続ける。だから、愚民というわけだ。

 中国の(一部の)業者はコピー商品作りが得意というが、それは原型を元に模倣する分、少なくともオリジナルを認めている。しかし日本の似非保守は模倣ではなく、でっち上げで全くの異なる概念にすり替えている。既得権益層の仕業で大勢の愚民が無知やルサンチマン故、まんまとはまって、まさに、「悪」と「愚」の結合である。

 現時日本の保守の9割以上が、この愚悪な概念すり替え似非保守だ。自民党を含めて。日本のリベラルが腐った肉ならば、日本の保守は腐った魚だ。肉と魚の違いがあっても、腐ったことは一緒だ。

● 中国が民主化したら、日本人は幸せになれるか?

 民主主義の政治参加やら、自由・人権やら、男でも女でもないLGBTやら、独裁打倒すべき悪の中国や北朝鮮やら、左右に関係なく「符号」が次から次へと生まれる。

 とりわけ、保守にとっては、「親米」とセットに「反中」も美しい符号になっている。なぜ中国が嫌か?独裁専制や人権侵害の共産主義が悪だ。どうすればいいのか。中国は一日も早く民主化してほしい。そうですか。では、中国が民主主義国家になれば、日本が属国になるリスクもなくなり、日本人(特に貧困層)は豊かになり、幸せになるのだろうか。

 アメリカを見ればわかる。アメリカが世界一とされる民主主義国家であり、日本は事実上その属国になっている。日本人の暮らしはそれで良くなったのだろうか。いいえ、まったくそのようなことはない。むしろ、悪化している。しかも、今やアメリカに起因する台湾戦争に日本は巻き込まれようとしているのではないか。

 他国依存では真の国益も国民の幸福もあり得ない。しかし、似非保守は符号を追いかけ、貧困者のルサンチマン感情に浸かり、支配者階級に仕込まれた仮想敵を前に闘争心を燃やし、「親米反中」のリズムで踊らされている。音楽が鳴っている間は、踊り続けなければならない。とにかく踊り続けるんだ。何故踊るかなんて考えちゃいけない、というのが現状だ。

● 日本は中国の属国にならないために、日中連携するのだ

 「ダンス・ダンス・ダンス」である。

 音楽が止まった瞬間。その瞬間がいずれ訪れる。米中の戦い、中国が勝った場合、どうなるのか。アメリカは、第二列島線のグアムや第三列島線のハワイに引けば、大きな損害を受けずに済む。アメリカは最悪でも、カナダとメキシコに囲まれる西半球の主であり続けられる。しかし、日本はどうなるのか。おそらく中国の属国になる。このままいけば、間違いなくそうなるだろう。

 真の国益とは何か。中国の属国にならないためにも、中国との協調路線を考えるのが現実的ではないか。日本は、核を保有して中国とほぼ対等の立場で日中二強でアジアと中東、アフリカを仕切る仕組みを作り上げる、ということだ。それによってアメリカの属国地位から脱出し、中国との強弱関係を維持しながらも、日本は真の独立国家になる。

 たとえそれでも日中が折り合わず戦争するとしても、日本人はアメリカでなく、独立国家日本のために戦うことになる。靖国神社に眠っているのは、祖国日本のために戦って散華した英霊たちだ。過去はそうだったが、今も将来もそうであり続けなければならない。

 これこそが、日本国を愛する真の保守ではないだろうか。

 これにあたって、「米善中悪」という価値判断をリセットする必要がある。しかし、残念ながら戦略眼を持たない似非保守には無理だ。似非保守は、「米善中悪」という符号を掲げる以上、国益も何も考えられなくなっている。思考停止、議論不能な状況だ。そういう意味で、愚民の似非保守大衆がリベラルよりはるかにタチが悪い。日本をダメにするのは、リベラルでなく、似非保守なのだ。

<次回>

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