「自分葬儀交響曲」、旅立ちを謳歌する

 顧客企業(A氏)のメールを匿名で紹介する。先日、私がブログで「死」について語ったことに対してのコメントである。顧客とはビジネスだけでなく、人生や死生観について語れることを幸せに思う。

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 「死」に関するご意見、心の底から同感です。

 職場の倒産、家族との確執など私のこれまでの人生は全てが順風満帆という訳ではありませんでしたが、少なくともこの世に生まれてよかった、いつ死んでも悔いはないと言えます。

 金持ちではないですがまともな親の下に生まれ、感銘を受ける本を読み、良い音楽を聴いて、家族と一緒にいくつかの旅に出て美しい風景に接し、おいしいご飯とお酒を飲み、上を見ればきりがないですが、それだけでも十分生きるに値するものです。金銭的に価値があるものより、人間としての根源的な欲望を満たしてくれるもの、そうしたものが人生の価値を高めてくれる気がします。

 ガンジーの言葉のように、むしろいくつかの挫折を経験したからこそ、そう感じることができるのでしょうか。

 葬儀についても全く同感で、そもそもなぜ人の死に際しお金を渡す必要があるのか、その意味すら分かりません。非合理的でも大事にすべき日本の伝統はあるとは思いますが、理解できない、少なくとも自分はやらない風習が日本には根強く残っていることも確かです。

 嫁には常々、自分の死に際しては戒名や墓なんて全く不要、葬儀はモーツアルトのレクイエムとショパンの前奏曲第4番あたりをバックに近親と一握りの親友だけで行い、遺骨は大好きなハワイと(日本)●●県の海に撒いて欲しいと言っております。特に戒名に関しては、なぜ税金も払わない坊さんに名前を付けてもらうだけで何十万、何百万もするのか、なぜ名前の有り難さで値段が違うのか・・・

 「永遠に生きると思って学べ、明日死ぬと思って生きよ」・・・本当にいい言葉です。あらゆる経験・知識は立花先生には全く及びませんが、逆にまだまだ知らない楽しいことが待ち受けていると思って、日々学び、楽しんでいきたいと思います。

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<私から次の返事をした>

 コメントありがとうございました。価値観や倫理観はともかくそして死生観まで共有できるのが、光栄至極です。

 余談ですが、自分の葬儀のBGMについて、まだ選曲中で、「自分葬儀交響曲」で1から4楽章を、いろいろと組み合わせて決めたい。

 死者を偲び、送り出し、旅立ちを謳歌し、そして、生きる人たちを元気づけるという流れで、バッハあたりの無伴奏ヴァイオリンかチェロ、ショパンのノクターン、ベートーヴェン3番の第2楽章といった少々重たいもので始め、そしてこれは決まっているのですが、ボチェッリのオペラティック・ポップ曲「Con Te Partiro」(Time to say goodbye)で明るさを増していき、「死」よりも「旅立ち」のテーマを鮮明にし、最後に、ブラームス3番1楽章か4楽章、あるいは、思いきってベートーヴェン9番(ちょっと大胆かな)で生きる人の「生」の勇気と歓びを呼び起こします。
 
 また音楽的に、ヴァイオリン、チェロ、ピアノの個別ソロから、交響楽、おまけにボーカルも入るという変化を持たせ、参列者を退屈させたくないのです。

 ちょっと変わったものですが・・・。

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