● 飼い犬として主人に好かれるか、人間として相手に嫌われるか
これは個人の生き方においては、価値観の違いとして片付けることができる。しかし、国家の命運を左右する指導者がこの二択に直面した場合、その決断は単なる個人的な選択では済まされない。特に外交の場では、対等な関係を築くことが理想とされながらも、現実には力の差が歴然としており、強者に従属することで一時的な安定を確保するか、独自の路線を貫いて摩擦を覚悟するかというジレンマが常につきまとう。
この観点から見たとき、日本の対米外交はまさに「飼い犬として主人に好かれる」のか、「人間として相手に嫌われる」のかという選択を迫られてきたと言える。戦後、日本は米国の庇護のもとで経済復興を遂げ、その後も安全保障の大部分を米国に依存してきた。この関係の中で、日本は自主性を持ちつつも、米国の意向に大きく影響される外交を展開せざるを得なかった。歴代政権も「従属の中での自立」という難題に取り組んできたが、そのバランスをどのように取るかが常に問われてきた。
石破首相の対米外交は、まさにこの難しいバランスの中で巧妙にやりくりされている。彼のアプローチは、従来の「日米同盟絶対視」路線を維持しつつも、独自の視点で日本の国益を守ろうとする姿勢が見て取れる。彼の手法は、米国からの信頼を得ながらも、日本独自の意見を主張するという「高度な現実主義」に基づいている。
その象徴的な場面の一つが、石破・トランプ会談で見られた。石破は会談の中で、トランプをずいぶん持ち上げ、「好かれる」ように振る舞ったように見える。しかし、これは単に対米関係の維持という外交的配慮だけではなく、国内政治における計算も含まれているのではないか。日本の政治風土には、「アメリカに好かれなければ、良い政治家ではない」という暗黙の風潮が根強く存在する。特に、安全保障や経済政策において米国の影響が大きい以上、国内の政界で支持を得るためには、対米関係を良好に保ち、「アメリカから信頼される政治家」というイメージを打ち立てることが極めて重要となる。
このため、石破は単なる外交戦略としてではなく、国内の政治的な立場を強化するためにも、トランプに対して積極的に好意的な姿勢を示したのではないか。もし彼が対米関係に距離を取るような態度を見せれば、「日米同盟を軽視している」との批判を浴び、政治的に不利になる可能性が高い。こうした事情を考慮すれば、石破の行動は「単なる媚び」ではなく、日本の政治環境に適応した現実的な戦略の一環とも解釈できる。
しかし、こうした「アメリカに好かれることが政治家の評価基準になる」という風潮自体が、日本の自主外交の阻害要因になっているのも事実である。真に日本の国益を考えれば、ただ単に米国に好かれるのではなく、必要に応じて異論を唱え、日本独自の立場を確立することが求められる。石破の外交姿勢が今後どのように展開されるかは未知数だが、少なくとも現在のところ、彼は米国との関係を安定させつつ、日本の独自性を維持するという難題に取り組んでいる。その手腕が、単なる「飼い犬」としての従属に終わるのか、それとも「独立した国家」としての尊厳を確保することに成功するのか、その結果が日本の未来を左右することになるだろう。

● 米中に共通する「実力主義」と日本の限界
人工知能(AI)といえば、世界のトップに立つのは米国である。しかし、米国の研究を支える黒子が中国であることは、あまり知られていない。米シンクタンクの分析によれば、米国の企業や研究機関に所属する優れたAI研究者の約4割が、中国の大学出身者であるという。これは既に米国の大学出身者を上回り、米国のAI研究の主力を担う存在となっている。
中国といえば、技術を盗む国だと即断する者が依然として多い。しかし、そうした見方は時代遅れの寝言にすぎない。技術開発だけでなく、企業の現場においても、米国と中国は共通点が多い。特に、優秀な人材には高賃金を支払い、低業績者は容赦なく解雇するという実力主義の徹底は、両国に共通する特徴である。
最近、マイクロソフトは低業績の従業員を対象とした人員削減に着手した。Business Insiderが独自に入手した解雇通知文書によれば、その理由は以下のように記されている――。「貴殿との雇用契約を終了する理由は、貴殿の職務業績が貴殿の職位に求められる最低限の水準、もしくは期待される水準に達していないことなどです」
同文書によれば、ヘルスケア関連の福利厚生は即時に提供停止される。また、内情に詳しい匿名の関係者によると、解雇通知を受け取った従業員には、解雇手当が支給されなかったという。
一方で、日産自動車とホンダの経営統合に向けた協議が、わずか2か月足らずで終焉を迎えようとしている。この期に及んで、日産がホンダに対し「対等の統合」を求めるのはナンセンスである。
私の持論だが、日本人同士では抜本的な改革はできない。必ず外国人の介入が必要となる。仮に台湾の鴻海(ホンハイ)に買収された場合、3万人のリストラも即座に実行されるだろう。日本人は結局、外国人にだけ頭を下げる。これは奴隷根性にほかならない。カルロス・ゴーン氏は、そのすべてを見抜いていた。
私はかねてから主張している。日本社会は一度も新自由主義を経験したことがない。本物の競争を知らないのだ。日本企業の多くは、手段の目的化に陥っている。本来、ある目的を達成するために設立された組織は、やがて自己の存続と肥大化を目的とするようになる。その結果、組織は寄生虫の棲家と化し、ドラスティックな改革の道筋が見えなくなる。
日本の経営が抱えるこの根本的な問題を直視しなければ、世界の競争の中で取り残されるのは時間の問題である。
● SNS広告のパラドックス
SNSに表示される広告には、1つの不思議な現象がある。ユーザーがコンテンツを閲覧している最中に突然割り込んでくるだけでなく、コンテンツを遮るその広告を表示中止する「✖︎」が意図的に見つけにくく設計されていることが多い。この設計意図は明白であり、ユーザーに広告をより長く見せることが目的である。しかし、この手法が逆にユーザーの反感を買い、広告効果を損なっているリスクが高い。
通常、広告の目的は購買行為の促進であり、そのために広告が手段として活用される。しかし、ここで興味深いのは、SNSにとっては広告そのものが目的化している点である。本来、広告主にとっては「商品の購入やサービスの利用」が最終目標であり、広告は単なる手段に過ぎない。しかし、SNSプラットフォームにとっては、広告収入こそが主要な収益源であり、広告が目的となってしまっている。このズレが、利害関係の相反を生んでいるのである。
SNSは広告収入を最大化するため、ユーザーにできるだけ多くの広告を見せようとする。意図的に「✖︎」を見つけにくくするのも、ユーザーが広告をクリックする確率を上げるための仕掛けであろう。しかし、これは短期的には広告露出時間を増やし、収益向上につながるかもしれないが、長期的にはユーザーの嫌悪感を増幅し、プラットフォーム自体の価値を下げる可能性がある。
広告は本来、ユーザーに有益な情報を提供し、購買意欲を喚起するものであるべきだ。しかし、現在のSNS広告の多くは、押し付けがましく、強制的に視聴させることが目的化している。これは、広告が「本来の役割」を失い、単なる邪魔な存在になっていることを意味する。
目的と手段が混同されると、ビジネスは歪む。SNSの広告戦略も、その例外ではないのである。
● 議論を避ける者に価値はない
最近、レベルの低い議論はChatGPTに委ねている。AIは詭弁を含め、丁寧に一つひとつばっさりと斬ってくれる。省力化できるからだ。
そもそも、日本人の多くは議論を避ける傾向にある。議論が人間関係を壊すと考えているからだ。しかし、議論をしなければ、当然ながら議論のレベルは下がる。結果として、社会全体が浅薄な思考に陥る。私は議論に耐えられない友人は要らない。
実際、気がつけば、弁護士もジャーナリストも東大の教授も、私の議論から逃げ回るようになった。負けるのが分かっているからだろう。学者や弁護士など、いわゆる社会的地位の高い「先生業」の人々は、自らの誤謬を指摘されると、詭弁を弄するか、黙り込むかのどちらかだ。最近、こういう人間が増えている。そもそも、「先生業」に無謬の神話がつきまとうのが問題である。
私自身も「先生業」の一員だが、間違えたらすぐ謝り、訂正するというスタンスを貫いている。だからこそ、遠慮なく発言できる。しかし、世の中の多くの人はそうではない。相手が誤った発言をしても、クスクス笑ってやり過ごすか、ひどい場合には「そうですよね」と同調する。私はそれが甚だ失礼だと思う。だからこそ、必ず面と向かって指摘し、議論を呼びかける。
議論によって関係が悪化するならば、それは相手が知的誠実さを欠いているからだ。学問の研鑽ができない者と付き合う必要はない。そんな関係は無価値である。神ではない生身の人間ならば、誰でも間違えるものだ。謝れば済む話ではないか。簡単なことだろう。




