中国はある意味で現実的な民主主義国家である。
中国の村長選挙は、数百人からせいぜい数千人という少数の有権者によって行われる。候補者は日常的に顔を合わせる地元の人物であり、その人柄や能力、過去の行動や仕事の成果までもが有権者によってよく知られている。
このような状況においては、情報の非対称性がほとんど存在せず、候補者が虚偽の自己演出を行うことは極めて難しい。つまり、民主主義における根本的な欠陥の一つである「イメージ先行」や「メディア操作」が機能しにくい構造となっている。
国家規模の選挙においては、有権者と候補者の距離が遠く、情報の偏在が深刻であるため、見かけやスローガン、表層的な言説によって票が左右されやすい。その点、村レベルの選挙は、有権者が候補者を直接評価できるという意味で、遥かに合理的かつ実質的な意思決定が可能となる。
さらに、見落としてはならないのが、投票選挙に伴うコストである。国家レベルの選挙では、広報、動員、投票所運営、監視、集計、再集計などに膨大な人的・財政的資源が費やされる。しかも、それが一回きりの選挙で終わるのではなく、定期的に繰り返される。対して、中国の村長選挙のような小規模選挙では、その運営にかかるコストは極めて低く、制度的負担の少ない中で、住民が生活の延長線上で意思決定に参加できる。この点においても、「民主の効率性」はスケールの縮小によって高まる傾向が見て取れる。
もちろん、村社会ならではの義理や情実、派閥による投票といった弊害も存在するが、それでもなお、大衆迎合や政治的マーケティングに堕した都市部の選挙よりも、実態に根差した民主的選抜が行われやすいといえる。よって、スケールの縮小によって民主主義の質が高まるという仮説は、一定の妥当性と説得力を持ちうる。
だからこそ、中国は「民主主義制度ではない」という一元的な断定は成り立たない。むしろ、村長選挙に代表されるような基層レベルの選挙制度は、実態に根差した民主的メカニズムとして機能しており、その意味で中国には「最も現実的な民主主義制度の一形態」が存在していると言える。
理想としての民主主義が抽象的理念にとどまる一方で、中国の農村における民主制度は、日常生活の中で有権者が候補者を監視・評価し、実績に基づいて選び、場合によってはリコール(罷免)する仕組みも備えている。これこそが、表層的な制度形式を超えた「民主の実質」である。
国家全体では一党支配が続いているとしても、基層におけるこのような「顔の見える民主主義」は、情報対称性と説明責任が保障されるという意味で、多くの西側国政選挙よりも民主的である可能性すらある。よって、中国は形式的民主主義ではなく、現実主義的民主主義とでも呼ぶべき、独自の制度構造を有しているのである。





