現金給付や消費税減税、「全員救済」の幻想から脱却せよ

 物価高が続く中、政府与野党は「現金給付」や「消費税減税」といった“生活支援策”を次々と打ち出している。しかし、それらは一見して「優しさ」や「国民の安心感」を伴うように見えて、現実には極めて非効率的かつ持続可能性に乏しい政策である。

 すなわち、全員に薄く資源をばらまく手法では、真に困窮している層への資源配分が希釈され、結果として公正さを損なうのみならず、財政負担の面でも制度崩壊を早める可能性すらある。

 本当に必要なのは、「誰も取り残さない」という情緒的スローガンに依存するのではなく、国家として「誰を助け、誰を競争に委ねるか」という選別の原則を明確化することである。ここにおいて、「全員救済」という幻想から脱却し、あえて一部の国民が底辺に転落するリスクを引き受ける覚悟こそが、成熟国家の条件となる。

 競争とは、本来淘汰を内包するものであり、社会がそれを制度的・文化的に受け入れる準備を整えねば、真の競争力ある国家など成立しない。

 そのためにはまず、解雇規制の緩和を通じて、硬直化した労働市場を再編成し、生産性の低い雇用の温存をやめる必要がある。今の日本に蔓延する「雇用維持こそが正義」という発想は、企業の新陳代謝を妨げ、若年層の労働市場参入を阻害し、全体の生産性を押し下げる要因となっている。これを打破し、成果主義と雇用流動性を高める制度設計に移行しなければ、将来的な競争力の回復など望むべくもない。

 また、困窮者への支援においても、現金支給ではなく、生活インフラに限定された現物支給こそが望ましい。現金は使途が不明確であり、政策意図と合致しない支出(浪費・嗜癖的消費など)に消える可能性が高い。

 それに対し、現物支給は、生活保障としての最小限を的確に提供し、再生産への最低限の橋渡し機能を果たすことができる。具体的には、食糧配給、住居の提供、医療・教育の無償化などが制度化されるべきである。これは生活保護制度の現物化という方向で再設計可能であり、支出の透明性と政策効果の最大化につながる。

 さらに、単なる「雇用の確保」ではなく、「労働の質の向上」を軸に据えた成長戦略が必要である。そのためには、再教育と職業再配置への大規模な公的投資が不可欠である。雇用の受け皿としての公的支援は、単なる保護政策ではなく、人的資本の再構築として理解されねばならない。このとき、「底辺の切り捨て」ではなく、「競争の敗者に再挑戦の機会を与える制度」としての公共政策が要求される。

 国家運営の基本原理もまた、再定義されるべきである。すなわち、国家は全ての国民を平等に支援する慈善団体ではない。国家は、生産性ある者が最大限に貢献できる環境を整えることで、結果として国民全体の生活水準を押し上げる機構である。ここにおいて、国家の役割は「公平な機会の提供」であり、「平等な結果の保障」ではない。

 結論として、今後の日本が進むべき道は、政治的に心地よい「みんなの生活をちょっと楽にする」政策ではない。そうではなく、「競争と淘汰を容認しつつ、価値創出能力を持つ者が最大限に活躍できる国家設計」こそが、真に機能する現代国家のあり方である。情緒ではなく制度、平等ではなく機能、全員救済ではなく選別的支援――それが日本再生のための覚悟である。

 ここで必要なのは、単一の評価軸による「全員平等」の幻想を捨て、国家運営における二軸思考を明確に打ち出すことである――。

 すなわち、インセンティブ(報酬・支援)の配分軸は、「先進」と「強者」に合わせ、革新・競争・成果に報いる仕組みを徹底する。一方で、救済の評価軸は、「後進」と「本物の弱者」に絞り込み、制度の限られた資源を真に必要とする者に集中する。これが国家戦略としての「二軸政策」である。

 前者には、挑戦と成功を促す制度設計が必要であり、税制・補助金・雇用制度を含めた大胆な改革が求められる。後者には、現物支給型の最低保障と教育・医療・住居の公的提供を通じて、「人間としての尊厳の再起」を支える福祉の再設計が不可欠である。

 この二軸を分離せず、混同したまま政策を設計すれば、「甘えの構造」と「不公平感」が混在し、結局すべての層の不満が膨張する。社会に必要なのは、「頑張った者が報われる」という納得感と、「落ちた者には這い上がる最低限の梯子が残されている」という安心感の両立である。

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