『日本人は国内旅行すら行けなくなった……オーバーツーリズムだけじゃない「旅行離れ」の異常事態』(2025年12月13日 Yahooニュース)である。
● スーツを脱ぎ捨てヘルメットを被れば、日本人はもう一度豊かになれる。旅行も普通に行ける
日本人は、国内旅行すら満足にできなくなった。これは円安やオーバーツーリズムの問題ではない。もっと単純で、もっと残酷な話である。日本人が貧しくなったのだ。それも一時的ではなく、構造的にである。
問題の核心は、ホワイトカラー幻想にある。日本社会は長年、「大学を出て、スーツを着て、オフィスで働くこと」を中流の条件としてきた。しかしAIとグローバル競争の前で、このモデルは完全に崩壊した。
事務、企画、調整、報告といった仕事は、もはや高い賃金を正当化しない。AIの方が速く、正確で、文句も言わないからだ。それでも人々はスーツを脱がない。結果、肩書きだけホワイトカラー、収入は下流という層が大量生産された。
この層が真っ先に削るのが旅行である。可処分所得が足りないだけでなく、精神的余裕もない。だから「日本人は旅行をしなくなった」という現象が起きる。観光政策の話ではない。階層崩壊の可視化にすぎない。
一方で、ブルーカラーはどうか。物流、製造、設備保全、インフラ維持といった現場労働は、人手不足であり、AIでは代替しにくい。責任が重く、身体も使い、感情労働も伴う。だからこそ、本来は高い報酬が支払われるべき仕事である。海外では、ヘルメットを被って年収800万、1000万円という労働者は珍しくない。日本だけが、現場労働を低く見積もり続けている。
結論は明快だ。日本人が再び豊かになりたいなら、スーツを守るのをやめることである。ホワイトカラーであることにしがみつく限り、賃金は上がらない。スーツを脱ぎ捨て、ヘルメットを被り、現場で価値を生む方向へ労働を再配置すれば、中流は再生する。
スーツを着て年収400万円の「名目中流」より、ヘルメットを被って年収800万円の実質中流の方が、はるかに健全である。日本人は、豊かさを失ったのではない。間違った場所で働き続けているだけだ。選択を変えれば、結果は変わる。
● 移動できない国――金銭的自由の喪失が奪った「場所の自由」とその副作用
日本人の旅行減少を、単なる節約や嗜好の変化として捉えるのは見当違いである。本質は、金銭的自由の喪失が、連鎖的に「場所(移動)の自由」を奪っている点にある。金がなければ、時間も場所も選べない。生活は固定され、行動半径は急速に縮む。これは観光需要の低下ではなく、可動域の喪失、つまり自由の物理的縮減である。
重要なのは、この自由喪失が過去との比較で強烈に知覚されている点だ。多くの日本人は、国内旅行や海外旅行が「特別ではない時代」を参照点として持っている。
心理学的に言えば、人は絶対水準ではなく、参照点からの変化で損失を感じる。かつて行けていた場所に行けなくなることは、「行かない選択」ではなく、「奪われた体験」として認識される。しかも損失は利得よりもはるかに重く感じられる。結果として、旅行に行けないことは、可処分所得の減少以上に深い心理的ダメージを残す。
この「金銭的自由の喪失→移動の自由の喪失」は、ここで終わらない。問題は、その先に連鎖的な心理変化が起きる点にある。移動できない人間は、世界と接触しなくなる。結果として何が起きるか。
第一に、外界への好奇心が萎縮する。知らない場所、未知の人、異なる文化への関心が薄れる。
第二に、新しい刺激を避けるようになる。変化は負荷であり、安定こそが善だという思考に傾く。
第三に、内向き・保守化が進み、同時に攻撃性が上昇する。動けない人間は、停滞を合理化する必要に迫られる。そのために価値観を固定し、異質なものを拒絶する。
第四に、他者の移動に対する嫉妬心や敵意が生まれる。観光客、外国人、富裕層、頻繁に移動する人々が不快な存在として目に入るようになる。
ここで誤解されがちなのが、オーバーツーリズム批判の正体だ。多くの場合、それは「混雑」への不満ではない。核心は、「自分は動けないのに、他人は動いている」という参照点の不一致による苛立ちである。
移動の自由を失った側から見れば、自由に移動する他者は、単なる観光客ではなく、自分が失ったものを可視化する存在になる。その不快感が、道徳や公共性の言葉をまとって噴き出しているにすぎない。
日本人の旅行減少とは、金がないから行かないという話ではない。金銭的自由の喪失が、場所の自由を奪い、その結果として心理が内向きに折れ、社会全体の寛容性と開放性が削られている現象である。
これは静かだが、確実に社会を変質させる。ここを直視しない限り、観光政策をいじっても、スローガンを変えても、問題は何一つ解決しない。
● 移動できない(旅行減少)国の政治心理――「毅然」に拍手が集まる理由
この心理構造は、そのまま現在の政治支持にも投影されている。高市支持率の高さは、政策の精緻さや実現可能性以前に、「感情の処理装置」として機能している点で説明がつく。とりわけ中国に対して「毅然とした態度で喧嘩を売る」姿勢が支持されるのは、外交判断の合理性というより、心理的カタルシスの提供に成功しているからだ。
金銭的自由を失い、移動の自由を失い、生活の可動域が狭められた人間は、現実空間では鬱屈を解消できない。旅行にも行けない。外に出て世界を広げることもできない。そこで人は、象徴空間に出口を求める。外交、国威、敵国、強い言葉。これらはすべて、動けない現実の代替運動である。
中国は、この心理にとって都合の良い対象だ。巨大で、異質で、距離があり、しかも直接生活を良くしてくれる存在ではない。つまり、安全に怒れる相手である。そこに対して「毅然」「断固」「譲らない」と言ってくれる政治家は、支持者にこう感じさせる。「自分は何も失っていない」「まだ誇れるものがある」「負けていない」と。
ここで重要なのは、これは右派特有の現象ではないという点だ。内向き化、保守化、攻撃性の上昇は、自由の喪失が続く社会ではごく自然な反応である。人は動けなくなると、考え方を硬化させる。考え方が硬化すると、敵が必要になる。敵がいれば、自分の停滞を外在化できるからだ。
だから今の政治は、政策論で見ても理解しづらいが、心理学で見れば腑に落ちる――。移動できない、広がれない、報われないという三重苦のなかで、人々は「強い言葉」「分かりやすい敵」「即効性のあるスッキリ感」を求める。高市支持は、その需要に対する極めて素直な反応である。
言い換えれば、これは支持者の思想の勝利ではない。生活世界が縮んだ結果としての情動政治だ。旅行に行け、世界を見ろ、と説教しても意味はない。移動の自由を回復できない限り、象徴的な喧嘩、言葉の強さ、敵への攻撃に人は吸い寄せられる。今の政治が荒れるのは、政治家の質が落ちたからではない。社会が動けなくなり、人々が内側で膨張した感情を処理できなくなったからだ。
政治はその感情を吸い上げているだけである。この構造を直視しない限り、「なぜあんな言動が支持されるのか」という問いは、永遠に的外れなままだ。
● スーツを脱げ、額に汗して働けば「Japan is back」――AI時代の「一億総中流」回復シナリオ
AIの浸透がもたらす最大の変化は、生産性向上でも効率化でもない。ホワイトカラーの過剰を白日の下にさらすことだ。事務、調整、報告、稟議、資料作成。これらの相当部分は、すでにAIで代替可能になった。にもかかわらず、日本社会はスーツという記号にしがみつき、ホワイトカラーであること自体を価値として温存している。ここが詰まりの元凶だ。
解決策はシンプルで乱暴だが、論理的には一貫している。ホワイトカラーからブルーカラーへの大移動である。AIに置き換えられる仕事から、人がやらねばならない仕事へ。建設、物流、保守、インフラ、介護、製造、一次対応。つまりエッセンシャルワーカーだ。ここに人材を一気に戻し、賃金を引き上げる。スーツを脱ぎ、ヘルメットを被る。これだけで、日本の所得分布は劇的に変わる。
なぜ一億総中流が戻るのか。理由は単純だ。エッセンシャルワークは需要が落ちない。国内完結型で、AI代替が難しく、しかも人手不足だ。ここにホワイトカラー余剰人材を吸収し、年収800万〜1000万クラスを当たり前にすれば、中流は再構築される。スーツを着て年収400万より、ヘルメットを被って年収900万のほうが、資本主義としてはよほど健全だ。
この転換が進めば、副作用も一気に解消する。
第一に、外国人労働者依存が不要になる。安価な労働力を外から入れる理由は、「日本人がやりたがらない」「割に合わない」からだ。条件を正せば話は終わる。賃金と社会的評価を上げれば、日本人はいくらでもやる。人手不足は幻想で、正確には低賃金不足である。
第二に、地方が息を吹き返す。エッセンシャルワークは都市のオフィス街に集中しない。移動の自由を失った人々に、仕事を通じた場所の自由が戻る。これは旅行以上に効く。生活圏そのものが広がるからだ。
第三に、産業の再編が起きる。象徴的なのが「洋服の青山」だ。スーツ需要が縮むのは当然である。ならば迷わず、制服・作業着・安全装備専門に転業すればいい。ブルーカラー国家において、最も安定した需要は制服だ。スーツを売り続けて沈むより、現場を支える装備で生き残るほうが、はるかに合理的である。
この話にロマンはない。だが現実的だ。日本社会は長らく、ホワイトカラーという幻想を守るために、賃金を薄く分配し、移動の自由を奪い、心理を内向きに歪めてきた。AIはその幻想を容赦なく破壊する。ならば抵抗するのではなく、利用すればいい。
スーツを脱ぎ捨て、エッセンシャルワーカーとして働く。それは格下げではない。価値の再定義だ。これができれば、一億総中流は戻る。外国人労働者問題も、低賃金問題も、観念的な社会分断も、一気に霧散する。やるかどうかは、日本人がまだ「見栄」を選ぶか、「生活」を選ぶか、それだけの話である。
● 偽右の皆さん、額に汗して働こう
特に偽右の中には現場行き、エッセンシャルワーカーに適している人がかなり多い。理由は思想ではなく性格構造にある。彼らは抽象論や言語ゲームが苦手で、身体感覚、役割分担、成果の可視性を重視する傾向が強い。
本来は動いて評価される現場向きの人材だ。それがホワイトカラー空間やSNS言論空間に押し込められ、行動欲求の行き場を失った結果、攻撃的な言葉や単純な敵対構図に流れやすくなる。現場に出れば、必要とされ、成果が見え、役割も明確になるため、過激さは驚くほど沈静化する。
偽右は思想の問題ではなく、配置ミスの産物であり、正しく置けば優秀なエッセンシャルワーカーになり得る。





