爆竹と「恭喜発財」の連発、今年もそこそこ呼吸できるよう祈りたい

 春節、旧正月。私がもっとも苦手なのは、爆竹の連発と「恭喜発財」の連発。

 爆竹は、耳栓をすればよいのだが、「恭喜発財」は、せっかく良き祝福をいただいたのに、「聞きたくない」と耳を塞ぐわけにはいかない。

 「恭喜発財」。「恭喜」とは「おめでとう」。「発財」の直訳は「富を膨らませる」。合わせて、「お金がたくさん儲かる1年になるよう」という意味になる。

 ストレートな英直訳だと、「May You Be Rich」になるのだろうか。さすがに「えっ」と西洋人も驚くだろう。そのせいか、「Gong Xi Fa Chai」という外来語が英語世界で市民権を得たのではないかと。

 個人的には、「金儲け」は嫌いではないし、いや「儲からない」よりむしろ「儲かった」ほうがよい。ただ、儲けは労働や事業の副次的派生物として考え、目的にしてしまうことにはいささか抵抗を感じ、その分ストレートな表現である「発財」にはある種のアレルギーを持っている。偽善といわれても仕方ない。自分はそう感じているのだから。

 ドラッカーは「金儲け」や「利益」を人間の「呼吸」として捉え、こういう。「われわれは呼吸をしていないと生きていけないが、呼吸をするのが人間の目的だろうか」

 まあ、そういう意味で、「今年もそこそこ呼吸できるよう祈りたい」という表現であれば、違和感がずいぶん薄まるものだ。