いろんな1億円といろんな稼ぎ方、答え求め続ける人生

 明日日曜日からは1週間の上海出張。終日研修1回、半日セミナー3回、あとは案件打ち合わせ。

 会社を経営しているとはいえ、自分は正真正銘の労働者であることをしばしば自覚する。汗水たらして労働している。セミナーは特に体力を使う。終了後、お腹が空いて大食いするところ、「あなた、肉体労働者ね」と妻に言われる。

 「50代に入ったんですから、もう少し不労所得でも考えたらどうですか」と、周りから言われるのも一回や二回ではない。不労所得って何?不動産賃料、株、銀行利子・・・。一部年金運用の積立や元本保障の投資以外に、ほかは不動産も株も一切やっていない。

 汗水たらして稼ぐ金とそうでない金。それに無意識に区別をつけていたところ、ある日、某金融関係の友人に言われた。「金融投資だって大変な労働が必要ですよ。決して不労所得ではない」

 それはよく分かっている。分かっているけれど・・・。

 Aさんが一生かけてコツコツ1億円を貯めた。Bさんは事業を成功させて1億円の利益を手にした。Cさんは金融投資で1億円を稼いだ。Dさんは宝くじで1億円当たった。Eさんは遺産相続で1億円を手に入れた。金額はみんな同じ1億円、どれも合法収入だが、「汗水たらして稼ぐ」の度合が違う。で、その5人に対する評価も違ってくるのだろうか。

 難しい質問だ。その答えを探し求め続けるのが人生ではないかと、つくづく思う今この頃だ。

 

コメント: いろんな1億円といろんな稼ぎ方、答え求め続ける人生

  1. 立花先生のおっしゃる通りで、まさしく「法・理・情」という違うレベルの視線です。それが、「その5人に対する評価も違ってくるのだろうか」への回答となるでしょう。

    さらにもう一つ話を作ってみると、

    Aさんが1日汗を流して1000万円を稼いだ。Bさんの今日の事業の収益は1000万円。Cさんは金融投資で1000万円を稼いだ。Dさんは宝くじで1000万円当たった。Eさんは遺産相続で1000万円を手に入れた。金額はみんな同じ1000万円、どれも合法収入で、同じ1000万円だが・・・。いやいや、汗を流して1日1000万円はありえんでしょう!

    これもまた、「法・理・情」の異なるレベルでの視線ですね。「法・理・情」。いずれも人間に属するものだけに、相違が許されるものではあるが、同じく人間に属するものだけに許容される相違の範囲にも限界があるのでしょう。

    1. たとえば、絶世の美女がスーパー金持ちと1日限りの愛人契約で1000万円を稼ぐというのもありでしょう。

      1. そうですね。法律的には全く問題なく許容されるものであっても、評価となると情と理が働きますからことなった判断となりますね。

        愛人契約と財テクがモラル的には同等のものと見られてしまうことも時にはあるのかもしれません・・・。

        でも、安心してください。相手を選びさえしなければ、額に汗して働いたものでないからといって、評価をしてくれないということはありません。要は、立花先生がどんな人に評価してもらいたいかだと思います。

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            Aさんが一生かけてコツコツ1億円を貯めた。Bさんは事業を成功させて1億円の利益を手にした。Cさんは金融投資で1億円を稼いだ。Dさんは宝くじで1億円当たった。Eさんは遺産相続で1億円を手に入れた。金額はみんな同じ1億円、どれも合法収入だが、「汗水たらして稼ぐ」の度合が違う。で、その5人に対する評価も違ってくるのだろうか。
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            立花先生がこの5人の何を評価したいのかですね。金の稼ぎ方の効率を評価したいなら、客観的な基準が必要でしょう。でも、人間性を評価するなら、主観的な評価となりますね。主観は百人百様ですが、どの主観を選ぶかは自分次第です。立花先生がどのような主観で評価されたいかが重要でしょう。

          2. 私は仕事柄法や契約中心ですので、どうしても均一評価になってしまいます。無機質ではありますが・・・。

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    Aさんが一生かけてコツコツ1億円を貯めた。Bさんは事業を成功させて1億円の利益を手にした。Cさんは金融投資で1億円を稼いだ。Dさんは宝くじで1億円当たった。Eさんは遺産相続で1億円を手に入れた。金額はみんな同じ1億円、どれも合法収入だが、「汗水たらして稼ぐ」の度合が違う。で、その5人に対する評価も違ってくるのだろうか。
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    これは興味深い例ですね。金額を変えてみて、こんなのはいかがでしょう?

    Aさんが1日汗を流して1万円を稼いだ。Bさんの今日の事業の収益は1万円。Cさんは金融投資で1万円を稼いだ。Dさんは宝くじで1万円当たった。Eさんは遺産相続で1万円を手に入れた。金額はみんな同じ1万円、どれも合法収入で、同じ1万円だが、同じ1万円に見えないところが不思議だ・・・。

    1.  法・理・情という違うレベルの視線です。法律人としては合法所得をすべて同一視しないといけません。理にかなっていないというのなら政治を動かして法を改正して分配ルールを変更する。情のレベルでいくら文句を言っても何も変わりません。その金額が1万円だろうと、1億円だろうと、10億円だろうと同じ原理です。

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