私はこうして会社を辞めました(53)―自嘲に耽る孤独な鳥
S. Tachibana
<前回> (敬称略) 東京帰任後の4か月目、月額20万円の「見なしコミッション」の支払いが、止められた。当初提示された年収900万円は、空中楼閣となった。コミッションがなくなると、実質的年収は、60…
続きを読む
続きを読む
私はこうして会社を辞めました(52)―これが成果主義人事か?
S. Tachibana
<前回> (敬称略) 東京に帰任して、私はNP部に配属され、地銀の東京支店担当課長という肩書きをもらった。課長なんて格好よく聞こえるが、部下ゼロの空ポストだった。しかも、あの「古田封建王国」では、古…
続きを読む
続きを読む
【Q&A】経済補償金の計算は旧法期間を遡るのか?
S. Tachibana
【質問】 2007年12月31日以前も間接雇用していた社員と派遣会社経由で、08年4月1日―2年間の間接雇用を行った。2010年3月31日終了する場合の経済補償金の計算方式を教えてください。従前、0…
続きを読む
続きを読む
私はこうして会社を辞めました(51)―給料が半分になる
S. Tachibana
<前回> (敬称略) 香港駐在時代、私の給料は年俸98万香港ドル、営業コミッションを加算すると、円換算で年収1700万円を超える(香港の高い家賃はそこから控除されるが)。30代前半のサラリーマンにし…
続きを読む
続きを読む
私はこうして会社を辞めました(50)―封建王国のパワハラ疑惑
S. Tachibana
<前回> (敬称略) 後から聞いたが、「十か条の社長直訴事件」で大きな衝撃が社内に走った。 事件があった数週間後のある日、私は風見に呼び出された、「立花さん、こんな状況ですので、転職を考えていませ…
続きを読む
続きを読む
私はこうして会社を辞めました(49)―白、黒そしてグレー
S. Tachibana
<前回> (敬称略) 風見が木津にメッセージを託し、9年前古田部長の暗黙の意思表示を受けてあの問題の「十か条」を私に手渡したことを認め、謝罪した。しかし、その直後、私がその件を関係者匿名で自分のブロ…
続きを読む
続きを読む
私はこうして会社を辞めました(48)―「十か条」の暗雲
S. Tachibana
<前回> (敬称略) 1週間後、私は、古田部長に呼ばれた。「なぜ、このような文書を、上司の私を飛び越えて社長に出したか?」、冒頭一番の質問だった。 「はい、理由は四つあります。その一、社員就業規則…
続きを読む
続きを読む
私はこうして会社を辞めました(47)―上司と先輩を崇拝せよ
S. Tachibana
<前回> (敬称略) 個人崇拝といえば毛沢東、金日成とスターリンの御三家、彼たちはちゃんとした主義と思想と貫禄を持っているが・・・ 「上司と先輩を崇拝せよ!」、一瞬、私が自分の目を疑った。 ある日…
続きを読む
続きを読む
私はこうして会社を辞めました(46)―宴会芸が出世道か?
S. Tachibana
<前回> (敬称略) 東京。2000年1月5日、ロイター・ジャパン帰任後の初出勤。 日本語だ!職場は日本語で充満している。6年間の駐在生活、職場は英語と中国語だけだった。ここ、ロイターとは言え、日…
続きを読む
続きを読む