「熱海化」したプーケット、バブル的傲慢さ漂う今日の姿

 プーケットの話、もう少し続けよう。私は1989年から、プーケットを6~7回訪れている。

 まず、1989年冬、私が始めてプーケットを訪れたとき、年間観光者数は90万人程度だった。人影まばらの孤島という感じだった。それから、プーケットの観光開発が進み、いよいよ15年後、2004年のそれが480万人にまで上った。

160311-1337-Phuket-Aleentaリゾートの「三色旗」――空・海・砂浜

 そこでプーケットは2004年12月のインド洋大津波の破滅的なダメージを受け、2005年の年間観光客数は前年比ほぼ半減して250万人台に落ち込んだ。津波発生1か月後の2005年1月末に私がプーケット入りした。島々が津波によって無残に破壊された惨状を目の当たりにし、胸がつぶれる思いだった。

050210-1158-Phuket津波にやられたプーケットの海岸(2005年2月撮影)

 津波直後の被災地リゾート。不謹慎ではないかとも言われるなか、私は、観光産業しかないプーケットにとっていまもっとも必要な支援は、観光客の訪問だと言い張った。(参照:「懐かしアルバム(4)~震災津波直後の『不謹慎』なリゾート」

 そして11年後の2016年3月、プーケットは様変わりした。被災地の面影はもはやどこにもない。人の態度もわずかながら変わったように思えた。入国時の出来事である――。

 マレーシアあたりではすでに廃止された出入国申告書は、タイにはまだ健在。資源の無駄ではないかと思わせるほどのデカサイズ入国申告書にせっせと記入して審査官に出したら、「滞在先の住所を書け」と冷たい表情で突き返される。

 「滞在先のホテル名は記入しましたが・・・」「住所と言ってるんでしょう。住所、分かりませんかね」「通常はホテル名だけで問題ないはずですが、バンコクでもホテル名だけです」「チェッ、私が住所を書けと言ったら、書くんです。そっちどけ、はい、次の人・・・」

 役人とヤクザとだけは戦わないようにしている。いや、戦えない。鞄の奥からホテル予約確認書を引っ張り出して、長い長いホテルの住所を枠はみ出して写し、ようやく入国スタンプを押してもらった。日本のパスポートで世界50か国を回ったが、ここまで文句を言われたのは初めて。微笑みの国、タイのプーケットである。

 プーケットは、「熱海化」している。しかも、バブル的な傲慢さが隠し味になっている。