「選択と集中」。トランプ氏の国家運営政策からは、企業経営戦略の「選択と集中」を連想せずにいられない。
資源を米国本国に集中的に投入する。特に軍事面では、米国自身の安全保障に直接影響を及ぼさない限り、他国の問題に原則関わらないようにする。ただし米国自身が攻撃されるか脅かされれば、米政府は断固たる軍事力で対応する。
「集団的自衛権」の放棄と理解しても差し支えないだろう。米国が集団的自衛権を放棄した場合、日本の安保法も無力化する。米軍支援を前提とする集団的自衛権行使の場面がなくなるからだ。
よく考えて欲しい。米国が集団的自衛権を放棄しても、米国本国を攻撃する国は世の中にまず存在しない。要するに、「集団的自衛権」を放棄し、「個別的自衛権」一本だけでも米国自身の安全は守られている。
そもそも、日本のような「個別的自衛権」で自国を守りきれない国だからこそ、「集団的自衛権」を受身的に必要としたのだった。個別的自衛権で自国防衛ができる米国ならば、むしろその分、集団的自衛権を「完全有料化」して商売にすればよいのだ。
ショバ代を取っていたヤクザがある日、「おりゃヤクザやめた。まともな仕事に専念するぞ」という。まともな仕事に取り組む元ヤクザをいじめるやつはいないだろうから、元ヤクザ自身の安全保障には何ら問題もない。
逆にショバ代を払っていた連中らが困る。「お願いだから、ヤクザ続けてくださいな」と頼み込む。「あっそう、そこまで言うなら、ショバ代の増額だ」と、ヤクザは「集団的自衛権」の本格ビジネス化に取り組む。それが故に、米国にとっては、米軍の「自衛隊化」プラス「他国防衛請負サービス」という、資源の集中を伴う国家運営モデルが合理性をもつ。
そこで日本には、3つの選択肢がある――。1、ショバ代増額に応じる。2、新ヤクザ保護者を見付ける。3.自分は自分で守る。
こういう強引な論法を平気で展開するというのは、もう立花先生の周りには「先生、これは違うんじゃないんでしょうか」と言ってくれる人がいないんでしょうかね。
2者択一に騙されるなと言いながら、自分はいつも2者択一を迫る。ストーリー的な仮定には乗りませんと言いながら自分はストーリーを物語る。
ビジネスで実績を積み上げられているコンサルタントの世界は、「おれが給料稼いできてんだ、自分で飯食って家の中でわめいて何が悪い。おれは俺が黒と言えば白も黒、俺がルール。嫌なら出てけ!」で家長としての権威を振り回せますが、他の世界では裸の王様、良くて居酒屋で酔っぱらっている親父のざれごとにしかならないことをお忘れなく。
自己矛盾だらけ、家長権威を振舞わすわめき、裸の王様、居酒屋で酔っ払い親父の戯言・・・。その気があれば、このような書き込みを削除すれば済むことですが、あえて掲示許可をします。それよりも、こんなブログにもかかわらず、貴重な時間をかけて見て、丁寧に度々、度々の多様多彩なコメントまで書くという献身的な姿勢には感心いたします。時間コストがもったいないなぁと思いませんか。