「我々庶民」ってそんなに善良無害の類なのか?

<前回>

 私の意見に対する読者コメントの一節を抜粋する――。

 「『政治家は政策で評価し、学者は学問で評価し、作家は著作で評価し、芸能人は歌唱力や演技で評価し、』を実行させるならば、政治家はクリーンさを売り物に当選すべきではないし、タレント議員を利用した集票などもってのほか。学者も政治家も作家も歌手も俳優もバラエティ番組などに出るべきではない。CM出演も禁止でなければならない。ホリエモンが言っていたような『ベストセラーを作りたかったら、全国の書店を回ってスタッフと仲良くなりなさい』みたいなのも当然駄目でしょう」

 それとまったく異なる思考回路を私は取っているのである。

 「政治家は政策で評価し、学者は学問で評価し、作家は著作で評価し、芸能人は歌唱力や演技で評価する」という私の言葉は、それ以外の評価基準をなるべく排除するという意味である。例えば政治家が不倫しようと彼か彼女の配偶者の問題であって、私に何の関係もない。どうぞ勝手にすればいい。良い政策をやってくれれば、それでいい。

 そこで不倫がばれて配偶者が民事訴訟でも起こして離婚を求めようと慰謝料を請求しようと、私に何の関係もない。その政治家は不倫騒動の山を乗り越えて引き続き良い政策をやってくれれば、それでいい。私は引き続き票を入れる。逆に、政策がダメなやつでいくら不倫もせず清貧な聖人君子であっても何の意味もない。退場すべきだ。そういう人には私は票を入れない。

 その読者がいわく「政治家がタレント議員を利用して集票する」という現象はぜ起きているかというと、政治よりもタレントしか知らない馬鹿な有権者が多いからですよ。要するに政治家の善し悪しを政策で判断・評価できない愚民が問題の根源なのだ。政策で戦えない。それよりもタレントを立たせて当選しやすいのなら、政治家はそっちに走ってもおかしくない。

 同じように、「学者も政治家も作家も歌手も俳優もバラエティ番組などに出るべきではない」とその読者がいうが、ではなぜバラエティ番組に出るのか、視聴率が高いからですよ。馬鹿な愚民たちはバラエティ番組にしか興味を持たないからですよ。日本のTV番組の低俗さが世界トップクラスだ。

 ホリエモンが言っていたような「ベストセラーを作りたかったら、全国の書店を回ってスタッフと仲良くなりなさい」現象はなぜ起きているのか。自力で作品の善し悪しを判断できず、業者が推薦してくれた「ベストセラー」に走るような読者が多いからですよ。

 いいですか。愚民たちが悪しき社会の責任を政治や政治家やマスメディアになすりつけて、「我々庶民」といういかにも善良無害な美称を掲げ、自己の聖人君子化に陶酔し、明日もまた社会の暗黒さを罵り、著名人のスキャンダルを叩き続ける。そんな日本人が今日本社会の中で大多数を占めていれば、民主主義制度の数の原理に照らして、庶民相手の商売はむしろそれに合わせてレベルを下げる以外に方法は皆無だ。

<次回>

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コメント: 「我々庶民」ってそんなに善良無害の類なのか?

  1. 「政治家は政策で評価し、学者は学問で評価し、作家は著作で評価し、芸能人は歌唱力や演技で評価する」の件ですが、実際の問題としていくつか疑問に思うことがありますので是非、立花先生のお立場をお聞かせ頂ければと思います。

    法律は立花先生のご専門の一つだったと思います。政治家にせよ、学者にせよ、作家にせよ、各々の価値は「不倫」したかどうかによっては立花先生の判断は影響されない、各々の職業的能力によって評価するとのことでした。(また、大衆もそうあるべきではないかとのご主張かと思います)。

    これは特に「不倫」だから、そうなのでしょうか?それとも民事事件だからそうなのでしょうか?同じ民事事件でも、「痴漢」「強姦」「借金の未返還」等があった場合も、あくまで職業的な能力とは影響がなく、支持、不支持には影響されるべきでないということなのでしょうか?

    また、あらゆる職業について同様のことがいえるのでしょうか?「政治家、学者、作家」ではなく、「小学校教師」、「医者」、「自衛隊員」、「看護士」、「弁護士」、「サラリーマン」などについても、同様に専門的能力のみにて評価すべきなのでしょうか?(各々が属する組織における処罰は別としてですが)。

    可能であれば、是非、立花先生のお考えをお聞かせ頂ければありがたく存じます。

    1.  ご提示の仮説の完全検証には莫大な紙幅が必要で、無料のブログでは網羅対応できませんので、ご了承ください。原則論からいえば、刑事事件は司法に任せる、民事事件は当事者同士に任せる、プロフェッショナル的な部分は業績評価当事者に任せる。なお、評価基準の方法論について、顧客向けの有料コンテンツで開示できません。以上です。終了。

  2. ーー「政治家は政策で評価し、学者は学問で評価し、作家は著作で評価し、芸能人は歌唱力や演技で評価する」という私の言葉は、それ以外の評価基準をなるべく排除するという意味である。例えば政治家が不倫しようと彼か彼女の配偶者の問題であって、私に何の関係もない。どうぞ勝手にすればいい。良い政策をやってくれれば、それでいい。ーー

    上記のようなご主張、まさしく昭和の発想で、それはそれで素晴らしいのですが、そうなると、この「立花聡公式サイト」の立場は何なのでしょうか?

    立花先生のビジネスは、立花先生がお気づきになっているかどうかはともかくとして、立花先生のパーソナリティーによるところが強いと思います。少なくとも集客という点において、立花先生のパーソナリティーがなければ大変な影響があるでしょう。いわゆるセルフブランディングにご成功なさっていると思います。もちろん、マイナス面もあるでしょうが、トータルで見ればプラス面のほうが大きいでしょう。

    この立花聡公式サイトをやめて、部下の名前でやるとか、会社の公式ブログとしてだけ記事を書き「立花の名」を一切外せば、(他の条件が同じであれば)確実に売り上げは下がるかと思います。(これは立花先生の信念によって受けられない仕事があって、実は立花がいなければ売り上げはもっと上がるかもしれないなどということとは別問題です)。

    つまり、良くも悪くも、立花先生ご自身が会社としての能力以外の、自らのパーソナリティで勝負なさっている。これは、立花先生の顧客のレベルが低いからそうせざるえないということなのでしょうか。もし、顧客のレベルが高ければ自分の名前でブログなんて書く必要がなく、主張の内容さえ同じなら部下の名前でブログを書かせても同じ売上になるはずだということなのでしょうか?

    1.  論点が随分脱線されましたね。当社のブランディングや集客や売上までご関心を持っていただいたのですか。あまり議論になるような内容ではないので、簡単にお答えして終了としましょう。

       まず、私現職の会社は、私が100%出資者です。コンサルタントというのは、医師業と似ていて、総合病院に勤める医者もいれば、個人クリニックを経営する開業医もいます。私は後者ですね。

       次に、「私の主張と同じ内容」という仮説は存在しません。立花は立花であって、AさんはAさんであって、それぞれの主張をもっている。なぜ、同じ主張を持たなきゃいけないのですか。まったく理解できませんね。私の主張なら、自分の名前で堂々と「立花聡公式ブログ」で語るのが当然です。他に選択肢はあり得ません。

       さらに、「顧客のレベルが高い、低い」という定義も、まったく理解できません。ただ1つだけいえることは、如月さんのような方が経営者である会社からのご依頼は辞退する(当初から依頼しないでしょう)、ということです。上下という縦軸的なレベルではなく、横軸の価値観で棲み分けする必要があるからです。

       最後になりますが、「立花の名を一切外せ」ということはなかなかできませんね。1個のパンをシェアしている従業員たちも困ります。たとえ「立花」の名に頼って生計の糧を得ている従業員がいるとしても、彼たちのパンを奪うとでも言いたいのですか。それがまったくのルサンチマンです。
       

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