【Wedge】たかが豚されど豚、中国の「豚肉危機」はなぜ怖いか?

 中国人民の「国民食」といえば、豚肉。しかし中国では、豚コレラの影響などで豚肉の価格が急騰し、庶民の食生活に深刻な影響が及んでいる。李克強首相が8月19日から20日にかけて自ら地方の市場を視察し、豚肉等の食料品の状況を調査していた。さらに8月21日の国務院常務会議では、豚肉問題が議題として取り上げられた。これだけ豚肉の問題が大きいのだ。食糧問題にとどまらず、豚肉が不足すれば社会的安定を脅かしかねず、社会問題や政治問題につながるとも言われている。

● 豚肉購入制限、配給時代再来の気配?

 現状は厳しい。豚肉の供給が急減しているだけに、市場メカニズムによる価格急騰は避けられない。一部の地域ではすでに豚肉の購入に身分証明書の提示などが求められ、購入量の制限を受けている。いささか昔計画経済時代の配給制度を想起させる。

 福建省莆田市荔城区は8月20日付けで通達を出し、市場価格の安定化を図り、「安価商店販売制度」を導入すると発表した。9月6日から豚の腿肉やヒレ肉、スペアリブ、ばら肉に対して購入制限を加え、身分証明書の提示により1人あたり2キロまで購入可とする制度を打ち出した。なお行政支援として1キロあたり4元の補填を行うという条件も加えられた。

 ネット上の書き込みによれば、福建省漳州市の某スーパーでは豚肉スペアリブは最高値で500グラムあたり59.8元となっていた。これは高い!中国メディアの華夏時報によれば、豚肉価格の上昇に対応し、今年4月から全国29の省において価格補填連動システムが導入されたという。

 豚コレラも一因だが、米中貿易戦争による米国産大豆の輸入量減少も大問題。私が今年2月19日付けの顧客レポートにこう書いた――。

 「大豆輸入の減少で困っているのは中国だ。国民食である豚肉の供給は、豚の餌の原料となる大豆に頼っている。豚肉の供給に支障が出て豚肉の価格が上がれば、中国人民の不満が一気に噴出するだろう。いまただでさえ、豚コレラで大問題になっているくらいだから、泣き面に蜂で大豆の輸入が減れば、豚肉の問題はただの食糧問題ではなく、政治問題にもなり得る」

 40年にわたった中国の改革開放は経済成長を遂げた一方で、農業や牧畜業を荒廃させた。いまさら重農主義を引っ張り出しても遅い。付加価値の低い農業にしがみついたら餓死するのがオチだ。天災地変という自然界の飢饉は怖くない。金さえあれば、食糧を買えるからだ。怖いのは「政治的飢饉」だ。

● 中国人にとって豚肉とは?

 中国北宋代の政治家・詩人、蘇軾がこういう詩句を残した。「寧可食無肉、不可居無竹。無肉令人瘦、無竹令人俗。人瘦尚可肥、士俗不可医」。大意は以下の通りである。

 「食に肉がなくとも良いが、居には竹がなくてはならない。肉が無いと人は痩せ、竹が無いと人は凡俗になる。人は痩せるとまた肥えることができても、士(知識階層・支配階層)は凡俗になれば、治すことができない」

 中国古代の文人は松・竹・梅を「歳寒(苦難のときの)三友」とし、これらを自分になぞらえるか、高尚な品格への尊敬や憧れを表し、そのなかでも竹を高い節操の象徴としてこよなく愛していた。詩人などの「士」は自分の宅園にも多くの竹を植えた。もちろん、蘇軾もその1人だった。彼の詩句は雅俗の高低を意識し、表すものだった。

 ちなみに、日本人にもよく知られているあの名中華料理「東坡肉(トンポーロウ)」も実は蘇軾が考案したものだった(「豚の角肉」とは少々違う料理だが)。料理の名前は彼の号である「蘇東坡(スウ・トンポー)」に由来する。ということは、句中の「肉」とは間違いなく「豚肉」を指しているのだろう。これを裏付けるには、蘇軾の「食猪肉」という別の詩がある。中国語の「猪肉」はつまり「豚肉」である。

 「食猪肉」には、「価賤等糞土、富者不肯喫、貧者不解煮」という一節があった。豚肉のことを、「豚肉の値段は糞土のように安い、金持ちはこんなものを食おうとしないし、貧乏人は煮ること(調理法)を解しない」というふうに描写し、そこで蘇軾は自ら豚肉の美味しい調理法を考案したわけだ。

 マズローの欲求5段階説に照らしてみると、豚肉を食するというのは「生理的欲求」「安全欲求」(低次欲求)レベルにとどまるが、竹を愛するとなると、「士」たる知識階層・支配階層という所属をはっきり自己意識し、かつ他者に意識させる、つまり「社会的欲求」「承認欲求」あたりの高次欲求にステップアップするものといえよう。

 「肉よりも竹」というのはまさに、「団子より花」的なニュアンスを有しているのではないだろうか。マズローの欲求5段階説だけでなく、「食猪肉」の「価賤等糞土、富者不肯喫」にも表れたように、安価な豚肉は金持ちが見向きもしない食べ物だったことが分かる。

 「衣食足りて礼節を知る」。――中国社会では、豚肉は古来から「衣食」の基本的需要アイテムに位置付けられてきた。豚肉が食べられないとは、衣食不足を意味するから、礼節に程遠く及ばなくなる。そんな感じがする。

 戦争や飢饉・動乱の年代においては、「豚肉を食べる」とは中国人庶民にとって晴れの食事にありつくことであり、一時的な快楽であっても、それが飢えや貧困から脱出し、夢に酔い痴れる至福のひと時なのである。

 詰まるところ、豚肉が食べられるかどうかは、中国人にとって貧困脱出の分岐点であり、衣食充足のボトムラインでもある。豚肉は、一種のベンチマーク、今風に言うと、GDPの体感温度的な指標といってもよかろう。

● 豚肉食べられないと、どうなる?

 中国は高度経済成長を遂げ、世界屈指の金持ち国家になった。国民が豊かになり、特に多くの都市部住民にとってみれば、豚肉はまさしく「価賤等糞土、富者不肯喫」たる安価な「下級」食材に成り下がった。

 中国人経営者や少々の富裕層に招かれて食事会に行くと、豚肉料理が出るチャンスはゼロに等しい。ところが、時代が変わった。問題は富裕層ではなく、一般の庶民にとって豚肉が再び手の届かない、あるいは届きにくい食材になった場合、それは深刻な問題である。

 中国人富裕層にとってみれば、豚肉は日常的必需品ではない。高級食材に関しては代替供給先があれば、何の問題もない。例を挙げると、ロブスター。昨年(2018年)7月に中国が米国産ロブスターの関税を引き上げた。今年上半期の対中輸出は昨年同期の544万キロから100万キロに急落した。一方では、中国市場の需要がカナダに持っていかれ、同じ上半期の同国の対中輸出は1497万キロにも達し、昨年の通年出荷総量に匹敵する。中国国内の富裕層消費者にとってみれば、価格が上がっても供給さえあれば問題にならない。ロブスターが米国産だろうとカナダ産だろうと関係ないわけだ。

 しかし、豚肉は違う。中国は世界一位の豚肉消費大国である。豚肉の消費量が中国人肉類消費総量の60%にも達している。中国の金持ちは一握りにすぎず、大多数の中国人(いわゆる庶民層)はやはり豚肉の価格とにらめっこしながら一喜一憂している。

 中国共産党は西側の民主主義制度を拒否して独裁統治を継続している。その統治の正当性を裏付ける最大要素は、共産党が中国を世界2位の経済大国に仕上げたことであり、平たく言えば、ほとんどの中国人が日常的に豚肉を食べられるようになったのはその象徴的な出来事である。

 「王者以民人為本、而民人以食為天」(史記)。王は民を本(もと)とし、民は食を天とする。中国人の挨拶で「チーファンラマ(ご飯を食べたか)」が「ニーハウ(こんにちは)」と同列に扱われているほど、食事は重要なイベントである。台湾や香港など一度民主主義や西方文化を体験した人たちを除いて、少なくとも中国本土の多く(大多数)の人民は民主主義云々よりも、まず食べること、ある程度安定した暮らしができることを優先的に求めている。

 香港デモを目の当たりにし、「あの香港人たち、十分に飯食えるのに、なんであんな騒動を起こすのか」といささか納得せず、デモを非難する本土の中国人も少なからずいる。これもひとえに「民以食為天」の考え方が深く中国社会に根差しているためであろう。

 そういうこともあって、中国の為政者は何よりもまず人民の食に目を配らざるを得ない。特にベンチマークとなる豚肉の存在が大きく、最重要事項として慎重に扱うだろう。庶民が豚肉を食べられないと、経済発展の意義や統治の正当性が問われかねないからだ。

 養豚業を発展させよ! 8月19日、四川省農業農村庁が音頭を取り、全省16の官庁が合同で「全省における養豚業の促進と市場供給の保障に関する9条の措置」たる通達意見徴収稿を発布した。同日付けで、江蘇省政府も負けずに「養豚業の回復と発展を促進する支援政策に関する通知」を下達した。

 豚肉問題になれば、養豚業に手をつける。このような対症療法をいくらやっても、抜本的な問題解決に至るとは思えない。結局市場メカニズムに委ねることができず、古き悪しき「計画経済」の発想から抜け切れていない。だから、米中貿易戦争が収まらないわけだ。トランプ大統領が求めているのは、本物の市場経済化である。

 さらに、中国生態環境部(環境省相当)は9月5日、各地の地方政府に環境保護を理由に養豚事業を制限してはならないという異例の通達を発出した。環境保護基準に達していない養豚業者に対しては閉鎖命令で禁止するのではなく、一定の経過措置を講じ温存するというものだ。

 挙国一致体制がうまく機能するのか。中国の養豚業は躍進するのか。ひいては豚肉や食糧問題が解消できるのか。いずれも不透明のままである。

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