「安定」とは何か?

 安定。人間は安定を求める動物だ。安定を破壊するあらゆるリスクを悪者扱いするのも本能だろう。私が企業のために人事制度を作る。その人事制度が競争原理に基づいて、変化や流動性を与えるものであれば、必ず顧客社内の一部の従業員や幹部の反対に遭遇する。既得利益が脅かされると、人間は本能的に反抗に奮起するものだ。

 「新制度は、社員に不安を与える。みんな安心して働けなくなるから、よくない」という声が上がると、いかにも正論であるかのように聞こえる。いや、正論だ。安定を求めるのは人間の本能だからだ。そこで考えたいのは、「安定」とは何かだ。

 「安定」、外部の安定と内在の安定という2つの「安定」がある。外部の安定とは、会社が従業員のクビを切らない、給料を下げない、降格しない、できれば労働を増やさない、昇進昇級もする、といったところだろう。逆に外部の不安定とは何か、それは解雇であって、賃下げや降格のリスクであろう。

 では、会社が賃下げをしたら、会社を辞めてほかにもっと多くの給料を出してくれる会社に転職すればそれで済むことではないか。クビされるどころか、その前に上司や会社のクビを切って、もっと条件のよい会社へ行けばいいのではないか。

 クビを切られても、賃下げをされても怖くない。これは一種の「安定」ではないか。外部でなく、自分自身の内在的な「安定」である。この内在の安定が、外部の安定よりはるかに強固であることに気づくだろう。

 さらにいうと、そもそも首切りや賃下げを恐れない人ほど、首切りや賃下げはされない。つまり、内在の安定が外部の安定をもたらすという因果関係が存在する。逆に内在の安定がないからこそ、外部の安定を一生懸命に求めてしがみつこうとするのである。

 だから、安定を求めるのなら、外部ではなく、まず内部に求めるものである。この社会はますます変化し、不安定要素を増している。安定志向の人にとっては、決してバラ色の世界ではない。「安定」とは何か、定年して逃げ切った人を除いて、すべて現役の人間にとって、避けて通れない道である。

 何もサラリーマンだけでなく、経営者にとっても同じだ。会社の経営には永続の安定などありはしない。会社も人間も強くならなければ淘汰される。強いものは美しい。これはサバイバルの美学だ。

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