明日が今日よりも貧しく悪くなる。コロナが社会構造そのものを変え、ほとんどの人の生活水準を引き下げる。社会の貧困化はつまり大多数の中産階級の貧困化を意味する。この現実を忌避すればするほど多くの問題が生じる。もっとも大きな問題は、誰かによって固有の日常や既存の所有を奪われたという個々人の心理的な抵抗である。
外食ができなくなったり、旅行へ行けなくなったり、綺麗な洋服が買えなくなったりすることで、人間は死にはしない。ただ今まで当たり前のように手に入ったものがなくなったときの喪失感が大きい。人によってはその喪失感から立ち直れなくなったり、人生が崩壊したりする。このような将来にならないためにも、為政者は現実を忌避することなく、国民に説明する責任がある。ただ、言いにくいことを言うには多大な勇気が必要だ。
しかし、日本の政治家は逆をやっている。「Go To Travel」「Go To Eat」などと銘打つ代物はまさにその代表格。コロナ危機で打撃を受けた観光業や飲食業、イベント業を盛り上げようと政府が様々な支援策の検討に当たることは悪い話ではない。特定の利益団体が絡んでいるという指摘もなくはないが、少なくとも大義名分が立ち、政府の意図は基本的に間違っているとはいえない。
ところが、災厄後の社会は大きく変貌し、観光業や飲食業といった産業自体が市場メカニズムによって構造的に大幅委縮した場合、いくら助成しても効果が表れない。それどころか、場合によっては逆に消費力をなくした人たちの反感を買いかねない。明日が今日よりよくなるどころか、今日の維持や延長すらできない。こうした現実を糊塗し、平和を粉飾するほど無責任なことはない。
何も日本に限った話ではない。世界的にもコロナ後の産業構造が大きく変わり、第3次産業の委縮を想定する必要がある。日本の場合、第3次産業の従業者数は全産業の約75%を占めているというが、仮説としてその3分の1あるいは半分が余剰となった場合、受け皿をどう用意すればいいのか。これは経済や産業の課題である以前に、政治的課題でなければならない。
第3次産業の縮小を吸収する方向は2つある――第2次産業と第4次産業(本音をいうと、第1次産業へもっと向かってほしいが)。
第2次産業の再興、つまり「再工業化」はこれから先進諸国にとって避けて通れない道なのかもしれない。コロナ災厄の発端である中国への製造・調達基地の一極化、そのリスクは今回の災厄で完全露出し、危機として顕在化した。中国共産党政権は自由資本主義世界と異なるゲームルールを持っている。この根本的な異質性を解消するには、体制の変更が必要だ。それができなければ、棲み分けが唯一の手段となる。
米国もこの本質を見通し、サプライチェーンの中国移出に取り組んできた。トランプ氏が米国大統領になってから、反グローバル化に走ったのも、リスクの深刻性に気付いたからだ。中国に作られたサプライチェーンを断ち切って、産業を米国内に回帰させ、国家の「再工業化」に米国が乗り出した。労働集約型産業は中国から移出し、ベトナムや東南アジアあるいはメキシコにシフトし、全体的な「脱中国化」を既定戦略方針とした。
そんな米中貿易戦争の真っ只中に、新型コロナウイルスという怪獣がやってきた。次々と陥落し、鎖国に追い込まれる欧米諸国の惨状を目の当たりにしてあることに気づく。世界が狭くなったのは危機の伝播をもたやすくし、「融合」や「一体化」が裏目に出たのである。国境の大切さ、棲み分けの大切さを改めて思い知らされたときでもある。
安倍晋三首相は3月5日に開かれた未来投資会議で、新型コロナウイルスの世界的な広がりを受け、「中国などから日本への製品供給減少によるサプライチェーンへの影響が懸念されるなか、一国への依存度が高く付加価値の高い製品は、日本への生産回帰を進める。そうでない製品も一国に依存せず、東南アジア諸国連合(ASEAN)などへの生産拠点の多元化を進める」と述べた。
時代の趨勢が明確である。外資の中国撤退、サプライチェーンの国内回帰(オンショア化)や再構築は避けられない。中国国内市場をターゲットとする一部を除いて、多くの日本企業は日本国内回帰と東南アジアへのシフトに動き出すだろう。
製造拠点の日本国内回帰。これが第3次産業の余剰人員を吸収する基盤になる。
もう1つの方向は第4次産業。日本は世界を見渡してもこの分野では出遅れている。伝統的な雇用体制や既得利益、あるいは固定観念が産業革命を妨害していた部分もあるが、逆にこの際コロナ危機によって状況が一変し、追い風が吹き始めたようにも見える。AI、IoT及びビッグデータによって第1、2、3次産業の高度化を促進し、産業間の波及効果が生まれれば、日本の産業社会は再興するだろう。
このような変革は甚大な痛みを伴う。時には激痛だったりする。なかなか人為的に引き起こすことは難しい。そうした意味で、コロナショックは外圧として変革の源泉や動力となる側面を肯定的に捉えたい。神の意志かもしれないけれど。
<終わり>