コロナ危機が深まるなか、中国が尖閣諸島周辺の領海に侵入し、挑発的な動きを活発化させている。ふと思い出すのは、ウラジオストクのことだ。
ご存知ですか。ウラジオストクは中国領でそれこそ中国の固有領土(吉林省)だった。中国語名は、「海参崴(ハイセンウェイ)」という。ロシアに略奪されたこの天然の良港を返せと、なぜ中国政府が堂々と言えないのか。
600平方キロメートルの海参崴に対し、釣魚島(尖閣諸島)の面積はわずか5平方キロメートル弱。常識ならば100倍もの面積を有する海参崴の回収・奪還は、尖閣よりはるかに重要性や優先順位が高いのではないか。なぜ、中国のメディアにとって、「海参崴」は触れることすら許されない腫れものになっているのだろうか。
日本は、尖閣も竹島も北方四島も同様に領有権を主張しているが、中国はなぜ、小さな島を大きい話題にしても、大きな街を小さな話題にすらできないのか。中国のあるゆる「愛国」は、なぜ選択的になっているのか。
「欺軟怕硬」――。弱者いじめで、強者を恐れる。これが中国の本性なのである。ある中国人が執筆したコラムを読むと分かりやすい――『愛国には勇気が必要か、ある人たちには必要で、ある人たちには不必要』(「新浪ブログ・財経時評」、2020年5月22日アクセス)。その邦訳を全文転載する――。
愛国には勇気が必要か、ある人たちには必要で、ある人たちには不必要。
本物の愛国には勇気が必要だ。国家の本当の歴史、本当の現状を示すには、勇気が必要だ。虚偽の愛国には、勇気が必要ではない。リスクもない、安っぽい芝居で十分だ。このような愛国芝居を上演するには、肝心なのは道具選びだ。ここで1つ簡単な方法を、愛国賊どもに教えよう。たった7文字しかない――反米反日不反露。聖上からの命令でござる――反米反日を許可し、ただし反露は不可とする。
多くの愛国賊どもはすでにこの聖上の7文字命令を熟練に運用しているのである。たとえば、連中らは「釣魚島」(訳注:「尖閣諸島」の中国名)を騒いでも、「海参崴(ハイセンウェイ)」(訳注:「ウラジオストク」の中国名)にはほとんど触れない。
この2つの場所は現在いずれも、中国人の支配下に置かれていない。が、果たしてこの2つの場所のどっちが、「中国の固有領土」に近いのだろうか。ここで比較してみよう。
1. 歴史上、中国人がもっとも早く足を踏み入れたのは、海参崴。遅くても唐朝に、中国人がすでにこの土地で活動していたのである。釣魚島は?早くても明朝に遡る。
2. 中国の歴史上の各朝政府による統治。海参崴は、唐朝に渤海により設置された率賓府の所轄に属し、金朝が成立すると恤品路と改称される。元朝になると水達達路管下に置かれ、清朝初期に寧古塔副都統に属し、後に琿春副都統の管轄に区画される。しかし、釣魚島はかつて中国の歴朝歴代によって直接に支配されたことがない。まあ、それもそうだ。これっぽっちの無人島は、当時の人の眼中になかったろう。
3. 紛争当事国が認めたことがあったのか。康熙帝時代の大清帝国とロシア帝国との間で結ばれたネルチンスク条約では、海参崴が清朝に属すと明確に記されていた。中華民国時代に締結された「中ソ友好同盟協定」では、ソ連が中国の海参崴に対する主権を認めると明文規定されていた。しかも、ソ連は1996年までに同地に駐屯するすべてのソ連軍を引き揚げると同意していた。
4. 2つの場所の面積の比較。海参崴は600平方キロメートルであるのに対し、釣魚島はわずか4.3平方キロメートルで、前者の1%も満たない。
5. 2つの土地の価値の比較。海参崴は不凍の天然良港を有し、漁業資源が豊富であるだけでなく、世界的にも有名な観光リゾート地である。釣魚島は天然ガス資源を有する。
6. 2つの場所の現状。海参崴はロシア極東地区の最大な都市、交通中枢、軍事要地である。釣魚島には淡水がなく、いまでも無人島である。
明らかなことに、海参崴も、「古来中国固有領土の一部分である」。だが、このようにどう見ても中国の領土である海参崴に対しては、中国人はいま、完全にロシア名である「符拉迪沃斯托克(ウラジオストク)」と称しているのである(皮肉なことに、「東方を征服する」という意味なのである)。それだけでなく、2012年になんと首脳がその地まで出向いてロシア主催のAPECにまで参加していたのであった。台湾だけ、大陸人が言っている「符拉迪沃斯托克(ウラジオストク)」のことを、依然として、「海参崴」と称しているのである。
愛国賊どもよ、釣魚島だけを主張しても、なぜ、海参崴を主張しないのか。実に理解に苦しむ。いくつかの原因が推測されるだろう。
愛国賊たちは貧しすぎて、高価なナマコ(訳注:「海参崴」の「海参」が中国語で「ナマコ」の意味である)に手が届かず、普通の魚しか食えない。
(ロシアの)スターリンがかつての義理のオヤジだった。それにしても、義理のオヤジが死んでもう何十年も経ったのではないか。
南京大虐殺があったから、日本を恨んでいるか?では、江東64屯・海蘭泡大虐殺(訳注:1900年7月16日ロシア軍はブラゴヴェシチェンスク在住の中国人3000人を虐殺してアムール川に投げ込むと、対岸の黒河鎮、愛琿城を焼き払い避難民を虐殺した事件)は忘れていいのか?愛国賊どもがあまり勉強していないせいか、連中らはこういった大虐殺を知らないのである。
ノミが多すぎて刺さなくなる、借金が多すぎて開き直るというが、土地の割譲が多くなると、どうでもよくなるのか。ロシアが中国から160万平方キロメートルもの土地を奪い去ったことを知らないのか。
見よ。釣魚島は騒いでいるが、海参崴が泣いている。もっと見よ。ロシアの「符拉迪沃斯托克(ウラジオストク)」は嘲笑している。「東方を征服する」と掲げ、東方のいわゆる愛国者たちを大いに嘲笑しているのである。(ここまで訳文)
「欺軟怕硬」――中国の熟語である。「欺」「欺負」とは「いじめる」、「怕」「害怕」とは「恐れる、怯える」という意味なので、「弱いものいじめをし、強いものには恐れる」という意味である。これは中国の本性である。
「鶏蛋不和石頭碰」――。「卵をもって石に投ず」、もう少しポジティブな表現にするとこうなる。石に卵をぶつけても、卵が割れるだけで、弱いものが強いものに立ち向かっても勝負にならないというたとえとして中国でよく使われる。
相手が現れると、すぐさまに自分との上下・強弱関係を判断する。自分のより強いことがわかると、正面衝突を避け、自己保全に乗り出す。ただ大きな利害関係が絡んでいると、ひたすら逃げるわけにもいかない。すると、次の手を使うのだ――。
「韜光養晦」(タオグァンヤンホイ)。相手と正面衝突を起こし、勝負できる立場にないと判断した場合、当面戦わずにエネルギーが蓄積されるまで力を温存し、技を隠しておく。「韜光養晦」は強い相手に勝つため力を蓄積する経過措置であって、その過程において「臥薪嘗胆」の現象も見られる。リベンジのために苦労や屈辱に耐え忍ぶことだ。70年代や80年代の日中友好ブームは、これにあたる部分はないのだろうか。当時強かった日本から投資や援助、技術を引き出したいのが弱者の中国だった。その後、改革開放の開花期までこの戦略・方針が踏襲されてきた。
鄧小平が打ち出した中国外交の基本方針は、「冷静観察、站穏脚跟、沈着応付、韜光養晦、善於守拙、絶不当頭」
この「24文字指針」は当時の中国の外交にこう方向付けた――。「周りを冷静に観察し、足元を固め、落ち着いて対処せよ。力を温存して好機を待て、牙を剥き出さずに控え目な姿勢に徹し、決して指導的地位を求めるなかれ」
さらに、「韜光養晦」の後続として、「厚積薄発」(ホゥジーボォファ)という手が準備されている――。たくさんの力を厚く積み重ね、徐々に少しずつ出していく。小出しするのが、相手の状況を確認するためだ。相手が完全に弱ったことが判明すれば、一気に切り崩していく。
現在、日本の相対的弱体化があっても、ロシアの軍事力に関して中国はその強さを認めざるを得ず、現段階の領土問題については日本叩き先行が賢明であろう。戦術的にはロシアの力を借りて日本を潰すことさえ考えられるのである。
2014年2月6日付けの毎日新聞がこう報じた。「中国がロシアに対し、従来日本領と位置づけてきた北方領土の領有を承認する代わりに、沖縄県の尖閣諸島を『自国領』とする中国の主張を支持するよう、水面下で打診していることが分かった」
これがまさに、中国の一貫した功利主義の代表的なやり方。北方領土が日本領だろうと、ロシア領だろうと、中国には痛くもかゆくもない他人事だ。だが、他人事といえども、自分に有利な材料になれればこれを使わない手はない。
まず、北方四島のロシア領支援を取引材料に、ロシアから強力な支持を取り付けて尖閣奪取に活用する。いったん尖閣が手に入れば、さらに中国が強大な軍事力をもった時点で、中国は間違いなくロシアから領土回収に動きだすだろう。ウラジオストクをはじめとする領土の奪還は、まさに中国夢のクライマックスであろう。つまり、「韜光養晦」「厚積薄発」はいまなお継続しているのである。
中国のいわく「列強」とは?「百度」を調べると、以下となっている――。「列強」とは、西側列強(米、英、仏、独、露、蘭、スペイン、ポルトガル、デンマーク、オーストリア、ベルギー、イタリア)、およびアジアの日本。
今の西側ではグレートパワーの凋落が相次ぎ、残るは米露くらいしかない。あとはアジアの日本。この3か国だけだ。
列強からいじめられた屈辱的な歴史から脱出し、民族の復興を実現させる偉大な「中国夢」。最終的に、「青い目の『洋鬼子』打倒」だが、その前に、「黒い目の小日本打倒」は必然的であろう。
だから、私が繰り返し言っていることだが、「日中友好」の存在前提は、「日強中弱」か「日弱中強」の二択しか存在し得ないのである。そこで、「日強中弱」の時代が歴史となった以上、今後は「日弱中強」とならない限り、日中友好はあり得ない。
「列強」に対する強烈な被害者意識から生まれるコンプレックス。最終的に、「一強」になることが終極的な夢であろう。中国には多極は存在しえない。「Great Powers」よりも、「Greatest Power」の一極化なのである。日本打倒の次は、ロシア打倒、米国打倒である。ウラジオストクも尖閣も本質的に同じである。
ただ、歴史が変わろうとしている。ポスト・コロナ時代はもはや中国の強権が許されず、米国が本格的に対中攻勢を強めるだろう。