1453年、世界史の分水嶺であった。コンスタンティノープル(現在のイスタンブール)が陥落。千年以上の歴史を刻んできたビザンツ帝国(東ローマ帝国)はオスマン帝国に敗れ、崩壊した。ビザンツ帝国時代に正統派キリスト教の大聖堂として帝国第一の格式を誇る教会であったハギア・ソフィア大聖堂(アヤソフィア)は、1453年5月29日をもってモスクとして転用される。
外観的には、ミナレット(尖塔)の存在でかなりモスクっぽくなっているが、近くみると、オスマントルコの時代になってから建てられたミナレットと建物本体の違和感を感じずにいられない。構内に一歩踏み入れると、そこはもうキリスト教会であった。
宗教建築の転用、しかも異なる、ある意味で対立する宗教の間での転用は珍しい。イスタンブールという街は宗教を大きな基盤とした帝国の交替の歴史をもつだけでなく、地理的にもヨーロッパとアジアの二大大陸にまたがる街である。
西欧から2時間強のフライトでこの街に入ったせいもあろうが、ヨーロッパとのギャップを強く感じたのは私だけだろうか。裏道に入ると石畳みの町並みはどことなく南欧的なムードがないわけでもないが、全体的にあの猥雑なムードはなんともアジア的であろう。
ボスポラス海峡は、イスタンブールの街をヨーロッパとアジアに分けた。トルコの国土は、小さな西のヨーロッパ部分と大きな東のアジア部分から構成され、総面積あるいは地政学的に考えれば、トルコはアジアといった方が妥当であろう。明確な区分ができないから、「中近東」という概念が生まれたのかどうかわからないが、少なくとも、トルコがヨーロッパではないと私自身が強く感じたのである。
しかし、トルコ・リラという自国通貨を持ちながらも、なぜかいたるところにユーロ表記が多いことに気づく。実際にユーロ現金での取引もあちこちあって、ユーロは準自国通貨の地位にあることが明らかである。実際に、トルコ人の多くは、ヨーロッパの一国であると自認していているようだ。経済やスポーツなど各種団体はヨーロッパの団体に所属しているケースが多い。もちろん、国としては名実ともにヨーロッパに仲間入りすべく、EU加盟を外交目標として掲げている。
かなり複雑である。