<読者への回答>中国商売の「王道」と「邪道」

読者Yusefさんの『<投書>立花流中国マーケティング手法に異論アリ』に回答します

 「工場」から「市場」へシフトしていく中国ですから、Yusefさんは、大変、大変重要なテーマを提起してくれました。まず、お礼申し上げます。

 「中国における商売上の基本姿勢は、「王道を行き、本物を提供する」と言うことです」というのが、Yusefさんの論点です、また、大勢の日本企業の論点、観点を代表しているのではないかとも思います。

 それでは、論証することに致します。

 論証に入る前に、「王道」の定義付けを確認しましょう。私が、インターネットの百科事典を調べると、「王道」とは、「正攻法」、「本物」、「本場」という解釈がなされています。恐らく、Yusefさんの解釈と一致していると思います。

 議論といえば、「王道」と反対、又は異なる意味のキーワードが存在しなければ、議論が成り立ちません。「王道」の反対語として、辞書は、「覇道」を上げていますが、私は、さらに「邪道」と「中道」を追加しました。それぞれ定義を致します。

 「王道」=正攻法、本物、本場。
 「覇道」=権力や地位などで強引に主張を通し、人を服従させる。
 「邪道」=正攻法から見て、本筋や本道から外れたやり方。
 「中道」=上記のミックス?

 商売のやり方は、概ねこの四通りだと思います。「覇道」の商売をやっている業者はいるか?います。電力、電信、石油など国が直轄する、いわゆる独占的な業界では、「覇道」で商売することができるでしょう。われわれ民間企業は、あくまでも「王道」と「邪道」、若しくは「中道」しか選択肢がないように思えます。「中道」については、商売上中途半場になって失敗が非常に多く、ここでは論証対象から外します。

 では、中国での商売は、「王道」でいくか、「邪道」でいくかを論じることに致しましょう。

 私は、どちらかというと、「邪道」派に属しているので、まず、倫理上の正当性を強調させてもらいます。

 釣りには、「邪道ルアー」という言葉があります。釣り用のルアーの中で、任意の構造によって釣果が得易くなっているものです。「釣り」は、目的は二つあると思います。一つ、結果である釣果、つまり魚。二つ、過程を楽しむ、魚が引っかかるまでのゆっくりと流れる時間を楽しむ。もちろん、「過程」を楽しんでからの「結果」に意義アリという考え方もあると思いますが、「釣り」というのは、やはり最終的結果の「魚」でしょうね。魚をまったく釣れないで、「ああ、一日、海をぼーっと眺められて、良かった」という釣り人はいるかもしれませんが、それは、ただ、自分を納得させているだけ、或いは、悔しい気持ちをぐっと押さえ込もうとしているだけではありませんか。海をぼーっと眺めるだけなら、高いお金を出して、釣り船までチャーターして、大騒ぎする必要はないじゃないか。

 商売になると、趣味と違ってきます。もちろん、お金たくさんあって、儲けを考えずに、道楽でやっている商売もあります。それこそ、釣果を問わず、釣りの過程を楽しむ商売で、本文の議論対象からはずします。

 余談になりますが、中国の商売で失敗して大きなお金を損した日本人の企業家で、「昔、日本が中国に悪いことをしたので、これで補償だと思えば、納得します」という人がいます。私は、その人の前で言いました、「補償は大変素晴らしいことです。だったら、単純に寄付すれば良いじゃないか、あなたが損したお金では、四川省に何軒も小学校を建てられますよ」・・・

 <投稿>にも書かれたとおり、私自身も投資し、経営に係わった外食産業プロジェクトが、中国で失敗しています。だからこそ、失敗の原因追及を一生懸命にやらなければなりません。

 中国には、故鄧小平氏の言葉として、「白猫であれ黒猫であれ、鼠を捕るのが良い猫である」という「白猫黒猫論」が有名です。収益性前提の商売は、釣果前提の釣りと同じだとすれば、「王道であれ邪道であれ、魚を釣れるのが良い「道」である」、「王道であれ邪道であれ、商売成功するのが良い「道」である」と、私の「王道邪道論」が成立します。

 Yusefさんの投書は、レストランという外食産業を事例にしました。私もそのまま、それをテーマとします。

 まず、中華料理を見てみましょう。

 このブログの美食コーナーにも書いてありますが、私は、本場の中華料理が大好きです。私は、日本人でありながら、一応中国人の血も流れていることで、大変僭越ですが、ネイティブに近い感覚で、中華料理を論じさせてもらいます。

 私は、いままで、個人的な趣味もあるでしょうが、日本で、本物の中華料理を食べたことは、ほとんどないに等しい。本物とは、いわゆる中国人から見た本場中華、いわゆる「王道」です。「食べたことがないに等しい」と言っているのが、まったくないわけでなく、極めて希有ということです。

 たとえば、肉まん。本物の中華肉まんは、みなさんも上海とかの街角で食したことがあると思いますが、中身は、肉団子ですね、で、肉団子はミンチで肉の脂身も混ぜてあるから、蒸すと、肉汁がどんどん出てきます。その肉汁が皮にもしみこんでいくし、その一部が火傷しそうな熱々のスープと化して、肉団子周辺に絡まれる形になっている。

 日本で売られるいわゆる中華肉まんは、どうだろう。中身は、パサパサのそぼろ状態、あるいは具の炒め物状態といっても過言ではありません。全体的に、日本の中華肉まんは、私にとってみれば、肉まんよりも蒸しパンのような代物です。もし、上海街頭で食す「汁系肉団子肉まん」が「王道」だとすれば、日本版の「そぼろ蒸しパン系肉まん」が「邪道」になります。

 でも、日本人は、「邪道」の中華肉まんをおいしそうに、ふうふうして食しています。

 肉まんだけではない。日本の中華料理も「邪道」がほとんどです。「王道」の中華料理は、「上湯」(広東語で「ショウン・タゥン」)という出汁スープを使います。出来上がった料理は、旨みがあって、しかもさらっと味わい深い。日本の中華料理は、なぜかとろみを多用します。片栗粉はそれでもかと、ふんだんにぶち込まれます。私の限られた見識で、日本で何軒か中華料理店の厨房を覗かせてもらったことがありますが、料理の仕上げに、どさっととろみをつける料理人がほとんどでした。このような料理は、どの料理をとっても、あんかけどんぶりの具にしかなりません。日本のあんかけどんぶりは、実に美味いのです。あんかけどんぶりという食べ物は、本場の中国で、ほとんど目に触れることがないのは、なぜだろうか。

 私は、自称中華料理の王道派で、「そぼろ蒸しパン系肉まん」も、「あんかけとろとろ中華料理」も、私の食欲を駆り立てることはできません。日本で中華を食べたいときには、大変苦労しています。

 あるエピソードを紹介します。

 私は、本場の中華を食べたくて、横浜の中華街でウロウロしながら、色んな店で食べては絶望します。ある日、例によって中華街でぶらぶらしていると、突然と、美味しそうな匂いが漂ってきます。本場の匂いだ!私全身の末梢神経が一斉に興奮します。駆け足で店に入って、犬のように、あっちこっちのテーブルにくんくんしながら、餌をあさる。たどり着くところは、従業員通用口に近いテーブルでした。二人若い中国人らしい客が、麻婆豆腐とご飯を食べている。その麻婆豆腐が、日本の一般のとろみたっぷりの「邪道」麻婆豆腐と違う、さらっとしている。あと、安価な豆板醤ではなく、上品な山椒がふんだんに使われていることは、私にはすぐ分かります。

 「あの~、麻婆豆腐とご飯ください」、私はさっそく注文する。
 「すみません、麻婆豆腐は置いてないんですが・・・」、ウェイターが困った表情で答える。
 「あの二人が食べているんじゃないか、あれと同じものをください!」、私が怒り出す。
 「・・・?あっ、あっ、あれは、うちの社員で、まかないを食べているんですよ」、ウェイターがさらに困った表情に。
 「あ、そう。社長を呼んでくれ」、これ以上、ウェイターと話しても無駄だと判断した私。
 
 社長がやってきます。台湾人でした。

 「あの、社長さんよ、あのまかないの麻婆豆腐を食べたい、メニューになくても、適当な値段を付けてくれ、いくらでも払いますから・・・」

 さすが社長、すべて見破ったようで、まかないを特別に、私に販売してくれました。

 その後、社長と仲良くなって、何回か中国人や中国通の日本人とその店で「特別まかないメニュー」の会を催しました。みんなが大喜びでした

 「本場の味で、あの美味しいまかないを、メニューになぜ載せないのか」、私は社長に聞きます。
 「本場?お客さんが好んでたくさん食べてくれたら、それが本場なのさ」、社長が笑い出した。
 「でも、違うでしょう、本当の本場はこのまかないじゃないか、それをお客さんに紹介したら良いじゃないか」、私は諦めません。
 「あのね、私もこの業界が長い。試行錯誤もたくさんやっている。たどり着くとこは今の状態なんだよ」と、社長が真剣な顔に。
 「でも、いまお客さんに出しているのは、本物の中華じゃなくて、それは邪道じゃないか」、私は、失礼を覚悟して最後の質問を聞く。
 「そう、邪道だよ。でも、邪道の方が売れる。商売ですから・・・」、社長の笑顔に翳りが見えました。寂しいというか、悲しいというか・・・

 料理評論家とか、美食評論家とか、大抵皆さんが自ら調理もしますし、素材にも精通しています。なかに、器にもこだわり、自ら製陶まで始めてしまうマニアもいます。料理作りに関しては、私は、牛肉の赤ワイン煮と鍋料理のあとのお雑炊かうどんだけが得意で、絶対に美味しく作れる自信がありますが、ほかはほとんど作れません。ですから、基本的に、食べるだけの評論家で、「食いしん坊」といった方が、より実態にマッチします。

 でも、「お客様の目線を意識する」という近代マーケティング学の観点からすれば、「作る人」よりも、「食べる人」である私は、より貴重な存在だと勝手に自画自賛します。

 日本の中華料理は、「上湯」という出汁スープをあまり使わないで、片栗粉でとこみをつけるから、本場ではない、王道ではないと言っていますが、「大部分の中華料理店」という前提を付け加えます。

 日本でも、本場に近い中華料理店があります。「上湯」をふんだんに使っている店もあります。その大部分は、高級店です。たとえば、シンプルな料理「白菜の上湯煮込み」で考えると、「上湯」の素材の一つ、上等な金華ハムだけでも、料理のメイン素材である白菜の何十倍もコストがかかります。ただでさえコストの高い日本では、一般的に使えないのが当然だと思います。すると、とこみが威力を発揮します。

 私は、社会人になって、少し手元に余裕資金ができてから、日本中の「王道」中華料理店を何店舗か知るようになったわけです。前文に出ていた「麻婆豆腐」でいうと、東京港区白金台の都ホテル(今はシェラトン)にある中華料理レストラン「四川」の「陳麻婆豆腐」が「王道」といえます。とろみがなく、スープカレーのようにさらっとしている。決定的な「辛味」も、豆板醤の「辣」(ラー、辛い)ではなく、山椒の「麻」(マー、しびれる感)になっている、本場王道の貫禄を見せる、大変エレガントな一品です・・・。当然良いお値段はします。

 ここまで話が来ますと、何か見えてきませんか?

 そうです。マーケティング学でよくいう「セグメンテーション」です。全ての人の全てのニーズに応える製品を提供することではなく、市場の絞込みを行って、効率化を図ることです。「消費者のグループ分け」とも言います。

 日本の中華料理も、中国の日本料理も、「王道派」顧客と「邪道派」顧客が存在します。問題は、業者がどの消費者層を狙うかです。

 いよいよ、中国では「王道を行く」、本格派日本料理の話になります。Yosefさんの提示した「王道」派の商売は、相対的に初期投資コストの少ないビジネスモデルです。新市場の参入は、商品開発にコストがかかります。「王道」と称して、本格派元祖商品は、再開発やリパッケージ(再包装)することなく、現地市場に投入します。これは、初期投資コストの効率化だけでなく、特定顧客層を比較的容易にターゲティングすることもできます。ただし、中国の場合、品質安定性の欠如という運営上の難点もありますが、決して解消できないわけではありません。その典型的なタイプは、「オーナー店舗」ではないかと思います。

 今の上海日本料理店を見渡して、成功している王道派日本料理店の共通点としては、小規模、オーナー(料理長や総経理)系などが挙げられます(一部調理工程定型化可能な品種、メニュー構成の成功事例もあるが)。この現象は、上記の説に合致しています。焼き鳥やグリル系といったマニュアル系を除いて、王道日本料理の醍醐味は、何と言っても料理人の感性ではないでしょうか。すると、小規模店舗、オーナーの目が届く環境が、必要条件となってきます。すべて、オーナーの腕にかかっている。そして、王道派の顧客を見えれば、非マス市場、現地の日本人客が絶大多数です。

 上海だけではない。北京だろうと、深圳だろうと、同じ現象です。現地の日本人に、「美味しい店を紹介してください」といえば、当然日本人の王道感覚で、本格派店舗を紹介してくれます。手打ちそばだとか、自家製の漬物だとか、それはそれは、王道派日本人が絶賛する店ばかりです。

 中国で、在住日本人相手だけの商売なら、断然「王道派」だとは私も信じています。ただし、中国人相手の商売になるとどうなのか?

 日本人にも、中国人にも、おふくろの味というのがあります。こればっかりは、後天的に変えることがとても難しい。

 まず、おふくろの味とは、何か?立花流の定義付けは、「人間が極端に疲れきったときに食べたい料理、食べるとほっとする料理」です。日本人が疲れきったとき、梅干とご飯を食べて元気を取り戻しますが、北京ダックを食べたいという人は少ないでしょう。中国人はどうだろうか、疲れきったとき、梅干とご飯で喜びますか。

 大多数の中国人に、本格派日本料理の王道を通そうとすると、消費者教育が欠かせません。日本国内でさえ、「食育」の難しさが叫ばれる中、中国では一企業どころか、おそらく日本国の国庫を底上げしても、中国人の「食育」は無理な話です。

 人間の味蕾は、ある程度の「食育」を通じて活性化させることが出来ても、おふくろの味というのは、DNA的なもので、変えることは不可能に近い。

 本格派日本料理を、日常食として好んで食べる中国人は、非常に希有です。日本人も同じではないか、何日も中華を食べ続けると胃が疲れてしまう。お互いに、まったく異なる味覚のDNAを持っているのだから、無理に「消費者教育」する必要がまったくないし、コスト的にも商売として成り立ちません。では、非日常的な食事としては、どうかということになります。

 日本人 「あなたは、日本料理が好きですか?」
 中国人 「はい、日本料理がすきです」
 日本人 「何が好きですか?」
 中国人 「刺身が好きです、天ぷらも好きです」  ・・・

 場面を変えましょう。イタリア人と日本人の一問一答です。

 イタリア人 「あなたは、イタリア料理が好きですか?」
 日本人 「はい、イタリア料理が好きです」
 イタリア人 「何が好きですか?」
 日本人中国人 「パスタが大好きです」  ・・・

 私は、ベネチアのレストランにも、北京のリッツ・カールトンにある最高級イタリアレストランにも、パスタの大皿を、一人一皿ずつ平らげて、食事を終わりにする日本人団体を目撃したことがあります。周りのイタリア人たちがちらちらと、不思議そうに見ていることは、日本人団体が感じていないようです。イタリア人にしてみれば、これはまさに「邪道」です。でも、これで日本人が幸せなのですから、良いのではないか。

 「邪道」か「正道」は、業者が決めるのではなく、顧客が決めるのです。顧客が「邪道」を受け入れれば、その「邪道」が「正道」になる。それでも、業者が「王道」を主張したら、「王道」が「覇道」になって、業者は潰れます。これは、マーケットのメカニズムなのです。

 中国人は、日本料理が好きですか、日本で、私の知っている日本料理店のオーナーは、アルバイトの中国人に料理を試食させて、中国人が「これは、美味しい」と絶賛しました。すると、日本人オーナーは、「中国人も美味しいと言っているのだから、これは中国できっと売れる」と豪語します。あとで、私がその中国人アルバイトに本音を聞いたら、彼はニコニコして、「そんなに美味しいとは思いませんよ。老板は良い人だから、失望させたくなかった・・・」と打ち明けてくれました。

 優しい心に基づく善意の嘘は、悪意の嘘と同じ大きな殺傷力を持ちます。

 社交辞令を本気で受け止めるべきではないということです。

 「この国の消費者は、本物に飢えています。本物であれば、提供されたサービス、モノが多少高くても、購入してくれます」

 Yusefさんの観点に私は大いに賛同します。ただ一つだけ、「本物」の定義付けをはっきりしなければ、結論がずれるような気がしてなりません。本物の発信地が認識している「本物」、そして、現地消費者が認識している「本物」、両者間に常に大きなギャップが存在します。

 特に日本料理は、心で食べる料理です。どうしても日本人しか体得できない部分があるのです。

 中国人から、「懐石料理」とはどういう意味かと聞かれたとき、私は、「禅宗の僧が空腹をしのぐために温石を懐に入れる・・・」という話をし、日本料理の由来をゆっくりと説明しましたが、なかなか理解してもらえませんでした。

 日本料理の原点というべきか、懐石の基本は、一汁三菜、現代になって、茶席に関係なく料理店で供される懐石は、だいぶ品数も増やしているにもかかわらず、中国人の目にはどう映るか、「量が少ない、きれいだけど、あまり美味しいと思わない」がほとんどです。中国大陸よりもはるかに日本化が進んでいる台湾であえ、王道日本料理の普及がまだ出来ていません。

 中国人が期待している「本物日本料理」と、日本人が太鼓判を押す「本物日本料理」のギャップは、恐らく永遠に埋めることはできません。逆に、本場中華料理を日本でもっと普及させる可能性があると私は思いますが、やはり、企業は収益性先行で、なかなか消費者教育に余分なコストをかけたがらないのが現状ではないでしょうか。

 行き着くところ、「本場の本物」で商売するかどうかは、収益ベースの問題になります。当座の収益を無視し、ある程度のリスクを取ってでも、消費者文化の形成、戦略的長期投資の観点から、投資家のコンセンサスがあってのプロジェクトは、大変素晴らしいと思います。まさしく、Yosefさんも言うように、「金も時間もかけないとならない」ことになります。もちろん、時間もコストですし、機会損失コストも考えなければなりません。道楽と思って、夢を買うと思って、お金をドブに捨てても良いという投資家がいれば、ロマンを語る余裕もできますが・・・

 王道を行く日本料理は、世界に受け入れられるのか、

 2008年、世界ベスト・レストラン50軒の9位(日本料理部門1位)に輝いたのが、日本料理レストランです。日本料理といっても、日本国内ではなく、オーストラリア・シドニーにある日本料理店「Tetsuya’s」( http://www.tetsuyas.com )です。「Tetsuya’s」は、2005年から連続四年のトップ10入賞を果たしました。ちなみに、2008年のトップ50の入賞レストランの所在国は、フランスやイタリア、スペインといったグルメ国家を別として、イギリスやアメリカなどグルメに不評な国も多数入賞しています。が、日本料理の王道である本国「ニッポン」は、見事にトップ50から外されています。

 「外国人が選んだベストだから、本物を知らないだけだ」という日本人も大勢いることでしょう。
 「毛唐どもは、日本料理なんて知るはずがない」と、私の知り合いの日本人料理人が憤慨する。

 その通りです。私は200%賛同します。

 日本料理を、鎖国政策でも取って日本国内に留めていればよいのですが、今、日本料理を世界で売る、中国で売る、となると、「日本料理」は、正統派「王道」の「日本料理」でなく、「邪道」の「Nippon Ryori」にでもならなければ、評価されませんし、売れません。海外では、外国人の目を意識せざるを得ません。

 博物館の経営は、オリジナル展示品で稼ぐ入館料よりも、レプリカ土産販売の売り上げで成り立つ時代になったわけです。

 文化的プライドを捨てるのではなく、外国に適合した日本の文化を創り出さなければならない。これは、いまのいわゆる国際化です。外国にある「王道」の日本料理は、現地在住日本人コミュニティーから脱皮することはできません。少し脱皮すると、むしろ在住日本人に嫌われ、王道離脱で罵倒されます。

 世界トップ10入りのシドニー「Tetsuya’s」は、王道日本料理を提供していません。和久田哲也オーナーシェフの成功はまさにその好例です。日本人の感性を生かしながら、フレンチベースの料理で外国人の心と味蕾を捉えました。もはや、「Tetsuya’s」の料理は、「日本料理」でもなく、さらに「日本料理の西洋化」をも乗り越えて、「西洋料理の日本化」の境地に入ったのです。

 ここまで来ると、王道離反の後ろめたさがなくなり、「新日本料理」の鼻祖として、日本に逆上陸し、堂々と日本国内一流の料理学校で説教する和久田氏の姿は、王道日本人の目にどのように映るのだろうか。幕末の「黒船来航」を想起せずにいられません。いや、もっと皮肉なことに、そこで陣頭指揮を執っているのは、マシュー・ペリー提督ではなく、何とニッポン人のテツヤ・ワクダ氏ではありませんか。

 身近な話ですが、「味千ラーメン」。インターネットで調べると、「不味い」と日本人の間では普遍的に不評です。しかし、意外にも中国国内で百店舗以上展開し、株式市場にも上場しています。「味千ラーメン」は、日本人から見ると、王道離脱なのかもしれませんが、中国で大成功しているのは、揺るぎない事実です。

 サントリーもそうです。中国の地元に密着した商品開発で、日本人の「ビール常識」を打破した「王道離脱型」商品でヒットさせています。ある意味では、「邪道」の成功事例とも言えます。

 一方では、昨年ニッカウヰスキーの「余市」銘柄は、本家英国の国際品評会「ワールド・ウイスキー・アワード」のシングルモルト部門で、最優秀賞を受賞した。サントリーも、多種類のウイスキーをブレンドしたブレンデッドウイスキー部門で、 「響30年」が二年連続で最優秀賞を受賞し、善戦した。日本酒よりも、なぜ日本産のウイスキーが本家の英国で受賞したのか?答えは実にシンプル。それは、外国人にとって、ウイスキーがもっと身近な存在だったからです。

 外国文化であるウイスキーに、ジャパン・テイストを加えたのが成功の秘訣です。これは、世界トップ10入りの日本料理レストラン「Tetsuya’s」と同じです。

 最後に、ご指摘のあった私が経営に関わった日本料理店「アイヌランド」の話に少し触れます。プロジェクトは、成功した部分と失敗した部分があります。結果的に、色々な原因があっての閉鎖となった以上、失敗と言って良いと思います。

 まず、このレストランは、いわゆる「邪道」日本料理に挑戦しました。ファンの常連客を確保することにも成功しましたが、最終的閉鎖に至るには、致命傷が三つありました。

 その一、経営中に第三者による悪意買収があって、経営計画が大きく狂ったこと。その二、それに起因して資金調達が不完全のまま、商品開発も途中で打ち切られたこと。その三、日本人料理長の常駐ができなくなって、料理品質の不安定状況に陥ったこと。

 資金関連の要素をさておいて、アイヌランドの場合は、「王道」維持ではなく、現地向けの商品開発という「邪道」がコンセプトでしたが、実施途中の頓挫で残念な結果になったと言って差し支えありません。

 先日、日本の某大手経済専門誌の特派員と意見交換する機会を得ました。日本企業の人事労務制度から、中国市場内販の話に切り替わると、以下の会話(要旨)がありました。

 特派員 「中国の内販といえば、日本企業の成功事例があまり多くない。その主な理由は?」

 立花 「マス市場に限っていうと、日本企業の品質が良すぎる、価格も高すぎる。一方、ハイエンド市場では、日本ブランドの力が、欧米勢に及ばない。中途半端な状況になっている」

 特派員 「私も、上海近辺の日本企業を回っているが、非常に感じていることは、日本企業は、「手抜き」を学ばなければならないことだ」

 立花 「これ以上適切な表現はない。まさにその通りだ。「手抜き」を学ぶこと。顧客目線というのだが、中国市場では、日本企業は高品質でちょっと傲慢すぎるような気がする」

 特派員 「消費者の価値観とニーズを、謙虚に精密に研究している日本企業はまだ少ないような気がして、非常に残念だ」

 立花 「ローカル市場向けに、マスだろうと、ハイエンドだろうと、日本国内仕様のそのまま導入は不適合で、商品の再開発が必要だ。そのための資金投入、戦略的長期投資のリターンをどこまで期待するか、いずれも、トップ経営陣の考え方次第だ」

 特派員 「今の日本企業を見ても、トップの考え方はそのまま中国事業に反映している。モードの切り替えは絶対必要だ」

 立花 「そう、JモードからCモードへの切り替えだ。でも、いまだに、Cモードの存在に気付かない、或いは見て見ない振りする、或いは無視する経営者がいる。大変残念だ」

 日本は、苦しい戦後の復興を体験して、どん底から這い上がった偉大な国です。先進国仲間入りまでの歴史を一コマ一コマ、丁寧に振り返ってみると、実に、中国ビジネスのヒントをたくさん得ることができます。戦後の日本は、アメリカ製品を研究、改善して、素晴らしい「Made in Japan」を作り出しました。しかし、今の中国市場でいざ「手抜き」を求められると、これ以上難しいことはありません。

 「当社は、絶対に手抜きできない。王道を行く!中国人に優良品質を知ってもらう」、こういう会社の社長がいると思います。このような社長には、私から三つの質問をさせてもらいたい。

 その一、日本企業の優良品質を、どのように中国人消費者に知ってもらうのか?
 その二、消費者教育にどのくらいの時間をかけ、どのくらいのコストを投入するか?
 その三、消費者教育を終え、かつ消費者も見事に成熟したとき、いざ他社に横取りされた場合はどうするのか?

 中国では、日本企業が人材を育てては、よそに引き抜かれる、「人材育成学校」と揶揄(やゆ)されて久しい。これからの日本企業は、くれぐれも、「消費者育成学校」にならないことを祈るのみです。

 長々と10回連載になってしまいましたが、立花流のマーケティング思想の基本であって、持論でもあります。ご賛同をお求めしませんが、Yusefさんだけでなく、多くの日本企業にも趣旨が少しでも伝われば幸いに思います。また、私のつたない意見を踏み台に、皆さんから色々なご見解をいただけることを期待しています。

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