【学会報告】米中新冷戦下における中国事業の政治的リスクと危機管理~国防動員法による外資企業へのインパクト概観

米中新冷戦下における中国事業の政治的リスクと危機管理
~国防動員法による外資企業へのインパクト概観

立花 聡(エリス・コンサルティング)

国際ビジネス研究学会第27回全国大会(オンライン開催)
報告日:2020年11月15日

1. 課題の背景と研究方法

 日本企業の中国進出はこの20年、グローバル化の追い風に乗り拡大基調を維持し、ついに「中国依存」の副作用が語られる今日に至った。昨今米中新冷戦が激化し、米国の主導によるサプライチェーンの脱中国化が進むにつれて、日本企業の立場も微妙になってきた。

 一方では、日本企業の中国ビジネスに対する研究を見渡すと、生産要素をめぐるもの、あるいは市場参入モデルや経済変数と経済成長の関係にフォーカスしたものが主流であり、日本企業の中国ビジネスにおける政治的リスクを課題とするものは相対的に少なかった。政治要素を静態的な定数とする傾向があるか否かを別としても、現実的に中国の政治的環境は動態であり、殊にこの2~3年に激動する様相を見せている。

 政治的リスクの評価は当該国投資および事業戦略に大きな影響を与え得る。このパースペクティブに立脚すれば、中国の政治的リスクをいかに捉え、いかに評価し、そしてリスクヘッジをいかに事業戦略に折り込むかが1つの重要課題として浮上する。ただ研究としては大きすぎるテーマであり、総論的な全景俯瞰を踏まえて、その一角を占めるリスク要素として、中国の国防動員法を取り上げて展開したい。

 本研究は対象となる国防動員法の発動前例がなく、法の解釈も明確ではないという特殊性を有している。先行研究が乏しく、一般化が困難かつ複雑な事象を対象としているため、背景の概観を踏まえて、法律の内容分析、事件を使用する定性的研究とした。英国中央政府HM Treasury(2004)ではリスク管理のモデルとして、管理の過程を1つのサイクルと捉え、識別、評価、対処、見直し・報告という4段階に分けているが、本研究は基本的にその第1段階の識別にとどまり、想定されるリスクの洗い出し作業およびリスク回避・危機管理の基本戦略方向性の構築に取り組んだ。ただし、各企業においては、その事業性質や内容、形態、規模、組織の構成によりリスクの定義や分布が均一でなく、個別最適な分析を行うことが合理的な場合もある。いずれの場合においても、リスクを重複なくかつ漏れなく定義することが重要である(MECE=Mutually Exclusive Collectively Exhaustive)。

2. 俯瞰的なサプライチェーンの脱中国化と米中デカップリング

 米中関係の悪化ないしデカップリングが進めば、経済の問題にはとどまらない。台湾の蔡英文総統は「民主主義国家は経済の力で民主主義を強化すべき」との見解を示し、国際社会はビジネスパートナーの選択だけにとどまらず、価値観と経済利益のバランスを図り、核心的、多元的、強靭なサプライチェーンを作り上げることが必要だと主張した。民主主義と経済は相互補完関係にあり、民主主義の基盤が公正な取引き、持続可能な経済的利益の獲得における恒久的担保である。これらの政治的要素を軽視する経済的「依存」は脆弱と言わざるを得ない。

 「安くて良い製品」のどこが悪いかという主張について、「安い製品はなぜ安いか」という問いが付きまとう。知財権の侵害問題、国家補助・不正競争の問題、民主主義毀損の問題、労働搾取・人権侵害の問題といった「中国問題」が根底に横たわる。これらの構造改革を求めるのが、そもそも米中貿易戦争における米国の原点であった。中国は無視できない大きな市場である。ただ目先の短期的利益だけを追求すると、本質を見失う。持続可能な、長期的恒久的な事業利益を担保するルールが毀損し、崩壊すれば、利益総量レベルでは大きな損失となる。

 一方、中国の経済的繁栄が中国共産党の一党独裁支配に根拠を提供している以上、サプライチェーンの脱中国化や対外貿易の縮小など経済的ダメージが甚大になれば、場合によっては支配の正当性をも揺るがしかねない。特に米中新冷戦が激化し、台湾海峡や南シナ海、中印国境などといった紛争リスクが増大している。戦争を含む有事をリスクとして想定したうえで、中国・国防動員法から事業リスク・危機管理の材料を見出したい。JR東海名誉会長の葛西敬之氏は次のように語った。「日本の企業は、中国での活動を中国側にうまく操作されることを避けられる範囲内に制限しておくべきだ。いざという危機にはその活動をすべて止めてもなお大丈夫だという程度に抑えておくべきだ」。それが何を意味しているのか、経営実務にどう折り込むのか。これらを検討する時期に差し掛かっている。

3. 国防動員法が日系企業に与え得る諸リスク

 国防動員法は、一言でいえば「全民皆兵」の戦時体制を裏付ける法律である。軍民結合(軍民一体化)、平戦結合(平時戦時一体化)、寓軍於民(軍の民への浸透、軍民一体化)という戦略思想の下で、軍民互換性の高度化が進み、外資企業を包摂する「民」の有事における動員体制がそのバッググラウンドとなる。現代戦は国家総力戦である。総力戦を戦い抜くためには、国家範囲内の人的資源と物的資源を有機的かつ有効に組織、統制、動員する。さらに「突発性事件」の定義、国防動員要件の定義の曖昧性と任意性も大きなリスクとなっている(国防動員法3、4、8条)。

 予備役要員の取り扱い(国防動員法26、28、31、32条)によるリスク:予備役要員の選抜条件の不明確さ、日系企業の中国人従業員の予備役要員採用および採用状況の不明確さ(採用されても、企業はこれを知らない)、予備役要員と企業との利益相反問題および勤務情況の不安定化(例: 職場・職務の一時または常時離脱、出張制限など)など。

 国防勤務要員の取り扱い(国防動員法48、49、50、53条)によるリスク:国防勤務の定義・範疇および要員選抜条件の不明確さ、日系企業の中国人従業員の国防勤務従事状況の不明確さ、国防勤務要員の利益相反問題および勤務情況の不安定化、人件費負担など。

 民生用資源の徴用(国防動員法54、55、56条)によるリスク:会社資産の徴用(短期・長期徴用、収奪)、会社所有・所在事務所や工場等不動産物件・場所の徴用(短期・長期の一部占用、立ち退きなど)など。

 特別措置発動(国防動員法63条)によるリスク:金融資産の一部・完全凍結 (「敵産管理法」等戦時法の発布、特殊管理勘定の設置、預金引き出し制限、外貨兌換・国外送金制限など)、物流機能の一部・完全停止、インターネット等情報ネットワークの一部・完全アクセス不能(遮断や障害)、国際便・国内便航空機運航の一部・完全停止、輸出入・貿易の一部・完全停止、税関規制(税関全量検査等)、交通制限・立ち入り禁止区域の設置、経営活動の一部・完全停止、勤務時間制限、商業的権利の一部・完全停止ないし剥奪、許認可の一時中止や取り消し、各種行政規制の発動(営業活動妨害、独禁法による長期審査等)など。

 悪意訴訟・外国人出国制限(民事訴訟法255条・同法司法解釈、外国人入国出国管理法28条)によるリスク:未解決の民事訴訟や労働紛争案件による出国制限(例: 身に覚えのない企業や個人からの金銭債権の請求、身に覚えのない(元)従業員からの賃金未払い請求の訴訟など)、上記出国制限の解除に必要な担保資産の不在・不足 (例:国防動員法その他戦時法により資産凍結・徴用・差し押さえを受けている場合)など。

 国防動員法の発動(動員令発令)による日系企業への主な影響は次にまとめる。

 ① 日系企業の中国人従業員が戦時動員され、日系企業と利益相反関係が生じる可能性
 ② 日系企業の在中資産が徴用され、凍結され、ないし没収される可能性
 ③ 日系企業の正常な経営が一時的に、または長期的にできなくなる可能性
 ④ 日系企業の日本人駐在員が一時的に、または長期的に出国できなくなる可能性
 ⑤ 同法の発動に伴う社会的混乱や騒動による被害・損害を被る可能性、その他。

4. 結論

 ヒト、モノ、カネにおけるリスク・危機管理やコンテンジェンシープランのあり方を概観的に考察し、検討するにあたって、まずは「平時」と「有事」の区分が重要である。

 地政学的な経営の目線を確保し、中国リスク情報の恒常的入手、整理に取り組む。それは国際政治、外交、軍事、国内政治、経済、社会情勢、各地騒動・動乱・ストライキ情報などが含まれる。これに先立ってリスク情報収集体制の確立が先決となる。リスク管理委員会の情報収集・社(グループ)内の共有機能、外部・内部情報収集チャンネルなどが含まれる。ただし、情報収集チャンネルの合法性を確保することを前提とする。

 注意点としては、公的機関・権威専門機関が発信する情報に依存しないことが挙げられる。独自の情報収集体制・情報分析機能を構築することが重要であり、独自のリスク・危機レベル(重大性等級)の設定と初動基準等の設定も欠かせない。新型コロナウイルス対策で世界的に有名になった台湾は、逆説的にもWHOの非加盟国であり、独自の情報網と情報分析機能・組織力をもって、超前部署(一歩も二歩も先んじて初動)に取り組んでこそ大きな被害を蒙ることなく、中国と密接な経済関係をもつ国として、驚異的な防疫成果を上げたのである。台湾に学ぶものが多い。

 中国事業拠点のBCP(事業継続計画)の重要な一環として、「Crisis Trustee(危機信託)」が挙げられる。「危機信託」とは、動乱や局地武力紛争、あるいは戦争といった危機が発生した場合、本社出向社員(通常日本人駐在員)が全員国外退避せざるを得なくなり、またはそれに近い状態に陥ったとき、日本本社が現地拠点の経営・運営管理の権限と実務を現地の受託者(被信託人)・管財人に託すことを指す。現地拠点の日本人駐在員が担当する業務の移行・代理遂行および本社への報告、現地拠点の会社財産や債権等各種権利・利益の保全および本社への報告、現地拠点の危機下のコンプライアンス、リスク管理の実施および本社への報告、現地拠点の関連経営や管理業務への監査および本社への報告、危機終了時の全受託業務の返還移行および報告などが含まれる。

 そのほかに、有事にあたって各種の契約における不可抗力や免責事項の約定や証明義務・付随義務にかかわる運用ガイドラインなども平時下で準備しておかなければならない。

 基本原則としては、「ヒト」=人命第一、出向社員・駐在員と現地雇用従業員の取扱い、「モノ」=会社資産・設備(有形資産)、営業秘密・知的財産権(無形資産)の保全、「カネ」=銀行口座・金融資産・債権の保全、「情報」=通信・コミュニケーションツールの保全という4つの方面において取り組みたい。

● 引用文献
英国HM Treasury『The Orange Book – Management of Risk – Principles and Concepts』(2004年10月)
台湾・中央通信社『蔡総統「経済の力で民主主義を強化」国際フォーラムにメッセージ/台湾』(2020年6月20日)
Wedge『米中の分断と棲み分け、日本はどちら側に立てばいいのか?』(2020年10月9日立花聡の「世界ビジネス見聞録」)
JBpress『中国とどう接する?日本経済界の重鎮2人が正面衝突~正反対の見解を唱えるJR東海・葛西氏と経団連・中西氏』(2020年9月23日 古森義久)
産経新聞『新型コロナ発端で米中「有事」の懸念、日本に危機への備えはあるのか』(2020年5月5日)立花聡取材記事
産経新聞『中国・国防動員法の恐怖…「有事」認定で進出企業のヒト・モノ・カネを根こそぎ 駐在員と家族は人質に?』(2015年9月4日)立花聡取材記事
産経新聞『「国防動員法」の教え』(2015年8月12日)立花聡取材記事
産経新聞『進出企業からヒト・カネ・モノ徴用できる中国 「国防動員法」に危機感を』(2015年8月10日)立花聡取材記事
産経新聞『脱出の順番』(2014年4月3日)立花聡取材記事
産経新聞『対中ビジネス「有事」に備えた事業継続計画はあるか』(2014年3月21日)立花聡取材記事
産経新聞『チャイナゼロ組 早期撤退を』(2013年1月1日)立花聡取材記事
林偉『中國國防動員體制之研究』台湾国立政治大学修士論文(2007)

タグ:

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です。