昨日に戻りたい、戻れるか?

 コロナ、1年も経った。

 予定されていた講演会やセミナー、顧客企業との会議・打ち合わせアポイントメントはことごとくキャンセル。仕事の流失は経済的損失を意味する。とはいっても、災厄は一時的な不可抗力で時間が経てば必ず終息するだろうと自分に言い聞かせながら、昨春は、夏以降の予定を入れ続けた。ところが、希望的観測は次々と裏切られた。コロナは一向に終息の気配を見せずに拡大の一途をたどった。

 「昨日に戻りたい」という一念を自分はもっていた。コロナ以降、「ニューノーマル」という言葉が流行語になった。しかし、ニューノーマルを好む人はどのくらいいるのだろうか。そもそも「ニューノーマル」の「ニュー」が付いているだけに、いかに「ノーマル」でないこと、つまり常識としての「平時」や「常態」でないことを意味しているか。

 今日は昨日よりよくなり、そして明日は今日よりよくなる。戦後の日本人が持ち続けてきた常識は21世紀に入ってついに打ち破られた。経済や社会の変遷といった事象を理解しつつ、多くの日本人は心情的な反発を抑えながらも少しずつ現実を受け入れ始めた。一種のフェードアウト的な段階的変化であれば、多少の心理的緩和作用も機能するだろうが、コロナという出来事はまさに突然に「昨日」を否定し、そして奪う災難である。

 昨日に戻りたい、戻れるか?

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