自然淘汰・適者生存、ダーウィンを否定する今西進化論とは?

 生存競争における自然淘汰・適者生存。そうしたダーウィン進化論を否定する日本人学者今西錦司(故人)。今西が打ち出したのは独自の「種社会の棲み分け」説。私はその「棲み分け」に惹かれて今西学説の本を数冊購入して読むことにした。

 まず気付いたことだが、アマゾンで売られている今西関連の書籍は、新書がなくほぼすべて中古本だった。学説の継続研究があまりなされていないように思えたのだが、別にそれはどうでもいい。肝心なのは中身。ペラペラめくって読みだすと、早速ダーウィン批判の砲火を全開。それもどうでもいい。肝心なのかやはり中身。

 一言でいえば、ダーウィンが提唱した個体ベースの受動的淘汰論に対して、今西は種ベースの能動的進化論を唱えた。

 今西はダーウィンの理論について「いくら合理的説明で、理屈にかなっていても、自然の事実によって確かめられ、裏づけされないかぎり、それは人間が自分の頭のなかででっちあげた、1つのイルージョンであり、フィクションであるにすぎない」と批判した。

 しかし一方では、今西の自説もまたもや同じく、事実によって裏づけられた確固たるものではなく、ある意味で別種のでっち上げたイルージョンだったのではないだろうか。今西没後、今西進化論に対する代表的な意見が次の通りである――。
 
 「今西進化論はじつは進化論ではない。それは今後の研究のきっかけを与える仮説ではなくて、自然観世界観である。種の全個体がいっせいにどっと変化するなどということは、観察されたこともないし、理論的にもありえようがない。まことに残念ながら、今西進化論には今日の人々を納得させる基礎がない」(日高敏隆アニマ今西追悼号)

 まあ、私も納得できない1人であるにすぎないことがそれでわかった。私は自然科学の専門家ではない。ただ社会科学の側面から、特に淘汰・進化論に限っていえば、自然科学に密接に関係しているだけに深い興味をもった。

 今西の「棲み分け」論に飛びついたのは、社会科学次元における個体的同質性による集団棲み分けというところだった。そもそも期待していたイメージとまったく異なるマクロ次元で今西の種全体の能動的進化論が展開された。何よりも、「棲み分け」という概念について深く言及されなかったところ、非常に残念である。

<次回>

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