無知の知と人間の効用

 収穫された農産物は、完成品。出荷された工業製品も、完成品。しかし、人間は常に未完成品。死ぬまで未完成品。未完成品ながらも役に立っていくのが、農産物も工業製品もできない、人間ならではの効用だ。
 
 したがって、人間はこの事実を知る必要がある。自分が常に未完成品であること、それはつまり「無知の知」であり、人間的効用の源でもある。

 無知の知は、他人にも自分にも適用する。

 善意で他人の本質的な無知を指摘することも大事。他人に「無知の知」を促進する効用があるからだ。ただ面と向かって他人の無知を指摘すると、人間関係が潰れる。すると、大方の人は、三人称か匿名でやる。三人称は相手をぼかすやりかたで、匿名は自分を隠すやりかたである。

 無論、何よりも自分自身の「無知の知」ほど大切なことはない。そこで、肝心なところは、その「無知」の「知」とは何かだ。知識、知恵、知性、知力、いろいろあるが、一体何だろうか。それをまず考えるのが「知的活動」の序幕である。

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