ワクチンのリスク、証拠のないことが何を意味するか?

 ワクチンに何らかの副作用はないか。一種のリスクとして捉えたところで、「証拠があるのか」とよく聞かれたりする。特に医療関係者やワクチン接種積極派から。

 「証拠がないこと」「ないことの証拠」は、同一概念ではない。ワクチンについていえば、「副作用の証拠がないこと」すなわち「副作用がないことの証拠」ではない。だから、「リスク」として捉えているわけだ。

 たばこだって、健康に対する有害性が証明されはじめたは、1940年代以降。それまではまさに、「有害の証拠があるのか」と問われても証拠がない、そういう時代が長く続いた。しかし、有害の証拠がないからといって、それがすなわち無害の証拠になるのかというと、ならないのだ。時間の経過によって有害性の証拠がどんどん出てきたわけだ。

 物事ができた当時、だいたい有益性があっての出現であり、有害性が即時に証明されることは少ない。医療行為における後遺症もその部類に属すが、時間の経過によって徐々に確認されるのである。

 たばこなら1本でも吸ったらすぐに肺がんになるとは考えられないから、やめればいいだけの話だが、ワクチンは違う。打ち込んだ時点で抜くことなんてできないのだから、少々用心深くなる必要があるわけだ。

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