もうやる気がない?トランプの目線と心中

 期待されていたトランプ独自のメディアがローンチした。まさかのブログとは、さすがに想定外。フェイスブックやツイッターから追い出され、独自のSNSを作ると約束したのに、このブログは堂々とフェイスブックやツイッターのシェアマークが付されているのではないか。

 そもそも、トランプはフェイスブックやツイッターと同等・類似のプラットフォームを自力で作るのが無理だと判断したのではないか。思い起こせば、当時、ParlerやGabといった保守系のプラットフォームに移行するとの呼び掛けもあったが、結局不発に終わった。たとえトランプ支持者であれ、一般人は完全にマイナー・プラットフォームに移行するのが現実的ではないことが判明した。

 では、トランプが独自のSNSを立ち上げて成功させる勝算はあるのか。おそらく、トランプが専門家ともよく話し合っただろう。財務的に、トランプが大統領の4年間に4ドルで働き、2016年当時35億ドルもあった私財から10億ドルの損失を出した。借入れもあるだろうから、これから無謀なメディア投資に引き続き私財を投入していいかどうか、それもトランプが家族とよく話し合っただろう。

 最後に、支持者の話。トランプ支持者となる層は、とりわけ民兵組織が銃を取るとも豪語していたが、なんら動きも見られなかった。テキサス州の独立話もあったが、それもどこかに消えてしまった。こういう仮説を私も何回か取り上げていたが、仮説は実現しなければ、単なる仮説に終わる。

 ただまったく意味がないわけではない。少なくとも社会のある種のムーブメントを示唆する上で、それなりの作用があっただろう。「ムーブメント」である以上、全社会にわたり広範な市民活動を必要とする。トランプ個人のファンクラブであってはいけない。しかし現実的に、トランプに取って代われる人物は見当たらない。70代の老人をヒーローに仕立てて持続可能なムーブメントにすることは可能だろうか。

 奴隷解放運動やら民族独立運動やら、世界史上数多くのムーブメントがあり、有力な指導者1人で成功した事例も多数ある。なぜ1人の指導者ではダメなのか。その分析は長編に及ぶので、ここで止めておくことにするが、一言でいえば、時代が異なり、状況が異なるからだ。

 トランプのなかに、人間としての自分と神としての自分という2人の自分がある(誰にもそうだが、気付いていないだけ)。人間としてのリアルな自分は、常に本能や欲望に従って動いている。意志で行動するよりも、行動して意志を形成し、観念する。自分の行動に対して後付け的に合理性を裏付ける解釈をする。

 もう1人の神としての自分は、自分の外部に存在し、自分と周りの関係を俯瞰している。トランプが大統領になってほぼすべての所為は私利私欲から切り離され、おそらくそのもう1人の神としての自分の意志に従ったものだったろう。それがわれわれ凡人俗人からみてのトランプに付着する神聖性なのだと思う。

 人間トランプと神トランプの対話。それはトランプ自身以外の誰にも知られざる世界である。私にも分からない。ただ1つだけ、われわれはトランプという人物自身の目線をもってみよう、という意志があってもいいじゃないかということだ。

 われわれ一人ひとりはもう1人の神の自分の存在に気付いたのだろうか。その神の自分と語り合っているのだろうか。その神の自分の意志に従って、リアルな自分の本能や衝動に抗って何らかの反対行動を起こしたのだろうか。少なくとも私自身はそこまで特に行動にあたっては、完全にできていない。これからもできないだろう。

 自分のできないことを他人に期待してはいけない。トランプは神のメッセンジャーであり、神聖なことをやり遂げてくれるだろうという神トランプのイメージがわれわれの脳裏に焼き付けられた以上、トランプが人間トランプとして取った行動、あるいは取らなかった行動にいずれ失望し、絶望するかもしれない。

 でも、トランプには人間回帰する権利を有しているのだ。この点を見落としてはいけない。

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