コロナの「予測」、これからはどうなるのか?

 世間は、「予測」を好み、必要とする需要層が厚い。良い展開ならば、安心できるし、悪い方向となると、それなりの予防措置を講じて備える。つまり、「予測」は意思決定の判断材料になるわけだ。

 で、質問。予測が外れた場合はどうなるか。悪い予測で良い結末になったら、予測者のことを「あなたの予測は外れたね」といささか皮肉って終わりだが、逆のパターンが一番困るのだ。楽観的な予測で悪い結果になった場合だ。「未曽有」「予想外」で片づけて逃げるのが今の日本人。

 今の時代は、予想できない、予測できない時代と言われている。コロナの出現を誰かが予想したのだろうか。コロナが2年続いてもなお猛威を振るっていることを、また誰かが予測したのだろうか。そこで、問われるのは、予測に意味があるのかということだ。

 昨日、次の質問を受けた――。

 「日中間の移動において、ワクチンパスポートによる制限の緩和(隔離期間の縮小など)、今後の予測される内容が知りたい。また2022北京オリンピックにより更に規制が強化される可能性についても伺いたい」

 そもそもワクチンパスポートの存在意義ですら危うくなっている。ブレークスルー感染が次々と報告され、ワクチン完全接種率80%以上に達したシンガポールまで連日拡散が止まらない状態である。ワクチンパスポートの意味は何かというと、感染しない感染されないことで自由通行・移動・接触が認められるわけだから、そうした意味でパスポートの意味が薄れつつある。

 さらにいってしまえば、デルタ株の次に強力な変異種が生まれるかどうか、誰が予測できるのだろうか。であるから、上位要素(因)が流動的(激動かもしれない)である以上、その制約を受ける下位事象(果)の予測は、ほとんど意味をなさない。まして、北京オリンピックなど、さらに先のことになると、予測など全く無意味である。

 オリンピックの話だが、昨年(2020年)時点で今年(2021年)の猛烈なコロナ拡散、緊急事態宣言下の開催になることを予測できていたら、東京オリンピックは延期せずに(1年延期で数兆円規模の経済損失)、相対的に拡散の軽かった昨夏に予定通りに開催したのだろう。もし、予測できた人がいたら、その人に10億円、いや100億円を払ってもいいと思う。

 私は仕事柄、「予想」や「予測」を求められることが多い。出版された本の紹介にも、出版社やマーケティング担当社が勝手に「国際派経営コンサルタント・専門家の予想・予測」類の文句を入れるが、実は私は予想・予測をしていない。常に「仮説」という言葉を使っている。

 いろんな仮説を立てて、その中でも最悪級のシナリオに合わせて、リスク対策、クライシス(危機)対策を打ち立てる。というのが真っ当な経営コンサルタントのあるべき姿勢なのだ。繰り返すが、私は評論家でもなければ、占い師でもない。実務家だ。

 コンサルフィーをいただいたクライアント企業には、複数の仮説を立てて、具体的な対策を設計するのだが、それ以外の場合、真面目な顔をして私は「予測」していたら、それはいささか無責任な言説になりがちだから、極力控えている。特に上位要素の流動性によって予測不能なものに対しては、単純予測は基本的にしない。

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