総選挙の本質、右ウィンカー出しながらの左折

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 11月1日(月)、自宅監禁180日目。総選挙が終わった。一言で総括するならば、「右ウィンカーを出しながらの左折」。たちが悪い。

 「本当の勝者は強硬右翼『日本維新の会』第3党に躍進」、11月1日付けの韓国中央日報がこんな見出しを掲げた。なるほど維新が「強硬右翼」と見なされるほど、世は左翼にぶれているわけだ。

 繰り返してきたように、今回の選挙は変化の是非を決める選択ではなく、変え方を決める選択だった。日本の左傾化はとっくに起きている。岸田政権は「新しい資本主義」という左ウィンカーを出して、事実追認したにすぎない。さすがにまずいと気付いて、最近派手にいわなくなった。

 立憲が負けたのは、左ウィンカー代表格の共産党と組んだからだ。これではやられる。心底に分配や救済を望んでいる多くの日本人は、点滅する左ウィンカーだけは見たくない。「共産党よ、名前を変えろ」と叫ぶ人もいる。共産党が改名すれば、その分票が入るだろう。

 中間層が真の保守のベース。中流階級が溶解し、底辺が拡大すれば、いやでも左へ曲がらざるを得ない。それが自民党を含めた全政党の左折を裏付ける根拠だ。

 マルクスの時代には、共産主義未体験のため、社会底辺から広範な支持を得られたのだが、今は違う。社会主義や共産主義の失敗(決して崩壊ではない)と罪が歴史認証された以上、だれもが支持などいえないし、決して自分があっち方面と認めることもできない。

 そう、一種のポリコレになっている――反共産主義、反社会主義。

 しかし、共産主義や社会主義の本質は何かというと、結果の平等、富の分配にほかならない。資本主義社会の貧富の格差が80対20だとすれば、社会主義社会は98対2。後者は特権階級の2が雲の上にいて見えないから、98は貧しくとも横一線になるだけに嫉妬心が消え、その分安心するわけだ。特に日本人。少し極端な言い方だと、隣の芝生は青いくらいなら、みんな焼け原のほうがマシ

 新自由主義はなぜ問題を起こしたのか。それは決して資本主義の行き過ぎではない。機会の平等が正常機能できていないからだ。本当ならば、機会平等に取り組むべきだが、しかしこれは既得権益層が容認しない。そこで焦点はついに結果の平等に移らざるを得なくなる。

 左折は避けられない世界の潮流だ。今回の総選挙で、自民与党が過半数を取って、ほっと胸をなで下ろして安堵する保守が多いが、とんでもない。単なる右ウィンカーが点灯し続けるだけであって、左折はとっくに始まっている。

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