追風用意、日本人と香りの関係

 私は男ながらも香水が好き。特に5年前の中東旅行で香水に開眼した。妻の分に便乗して中東から大量の香水・香油を買ってきて毎日のように付けている。水泳で体を疲れさせ、熱いシャワーを浴びた後の香水は仕事の効率を上げてくれる。ちなみに私の葉巻好きも異なる系統だが、「香り」からきている。

 中東は「香り」の世界だ。香水も乳香など香木系のものが多く、私はむしろ花系よりもこっちのほうが合っているようだ。香りは強く記憶に残り、記憶は嗅覚によって形成されているといっても過言ではない。脳が香りや記憶、感情を処理する際に、諸要素が密接に絡み合っているからだ。

 香りは何世紀にもわたって中東の文化の一部をなしてきた。中東の人々は男性も女性も毎日香りを身につけている。個人個人独自の香りを創り出すために、専門家(調香師)が活躍しているほど香水が日常品である。香りは個人のブランドをなし、コミュニケーションのツールとなっている。

 日本人は基本的に香水を使う習慣がない。人口密度が高いのも1つの理由ではあるが、最大の原因は「香りが空気を壊す」からだ。日本社会を形成する「空気」とは、その場を共有するものであり、一人ひとりが自身の存在をアピールするものではない。

 ただ日本人は決して香りが嫌いというわけではない。料理やお茶をはじめ、部屋の芳香剤まで香りにこだわりをもつ人は多く見られる。これらのシーンをみていると、やはり万人向きの共有性私的空間という2つの前提がついていることが分かる。

 もちろん、私は香水をつけて顧客との会議に出たりはしない。だが、コロナ後に会議も面談もオンライン化したので、香りの自由を得たのだ。将来、メタバースが普及しオンラインで香り(匂い)まで伝達するとなれば、また異なるプロトコルが必要になろう。

 時代は前に進むだけでなく、たまに少々の復古があってもいいと思う。昔の日本人は、薫物を燻らせ香りを漂わせる「空薫物(そらだきもの)」と匂いを着物に焚き染める「薫衣香(くのえこう)」といった香りの使い方があった。源氏物語にもたびたび登場するシーンだった。

 「追風用意(おいかぜようい)」という言葉があり、身だしなみの一つとして、人とすれ違い、通り過ぎた後に、ほのかに香りが漂うように、お香を着物に焚き染めたり、帯に匂い袋を忍ばせておくこと(薫衣香)である。すれ違った際の「追風」に乗って、香りがほのかに語りかけるように「用意」する。これは今日の中東や欧米を超えた風流ではないか。

 「追風用意」。――今風にいうと、「香りの発信」だ。しかし今日の日本社会には、むしろ「空気の受信」がより現実的で生存競争上に欠かせない手段となった。嗚呼。

タグ:

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です。