「生め生め」と「死ね死ね」、地球の出口戦略を考える

 『世界の適正人口は20億人』――これ以上の正論はない。東洋大学・川野祐司教授は歯に衣着せぬ直言で本質を突いた(2022年1月10日付「世界経済評論IMPACT」)。

 私は繰り返してきたが、今の日本や世界が直面しているのは、「少子化」ではなく、「多老化」の問題だ。さらにいってしまえば、「多人化」の問題である。日本の適正人口は、3000万人、せいぜい4000万人ではないか。

 決して、「生め生め」どころではない。「死ね死ね」とまではさすがに言えないが、出産制限は絶対必要だ。川野教授が提案している「出産許可制」は合理的である――。「子供を持つためには経済力や教育能力を示す資格取得が義務付けられるようになり、生まれてきたすべての子供は社会全体で育成するようになるだろう」

 そうした制度が実現するには、現状の民主主義では対応できない。20億の人権が適正荷重だとすれば、それを超えたX0億人の人権総和が地球の耐荷重を超過してしまうことになる。生まれれば、誰もが等しい人権を得ることができるのだから、出生を減らす人権を制限するかの二択しかない。

 人権制限は独裁国家にしかできない。だから、最近独裁政権は「ほら、お前ら民主主義国家だってガタガタじゃないか」と偉そうに放言しているわけだ。一理あるかどうか別としても、結局のところ独裁国家に経済依存している民主主義国家は独裁と関係を断ち切れずにいるのではないか。

 理由は何かというと、民主主義は一人ひとりに幸福を追求する権利を均等に保障しているからだ。大量生産・大量販売すれば富が増える。人口が増えればもっと大量生産・大量販売ができる。これが経済成長の法則だ。すると「生め生め」の負のスパイラルに陥る。

 残される選択肢は、出生制限しかない。だが、よくみると、出生制限だって人権制限(侵害)ではないか。その通りである。行き着くところ、膨張した人権総和に量的制限を加える以外になす術がないことに気付く。20億人というラインが適正であれば、人権総和の量的制限の合理性も認められなければならない。

 この辺の議論になると、独裁国家が民主主義国家よりはるかに効率性が高い。残念ながら、われわれはそうした土俵に今、立たされている。

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