ウクライナ戦争、事実判断を価値判断で否定する愚

 犯罪が多発する場所を深夜にAさんが一人で歩いていたら、強盗にやられたとしよう。あなたはAさんに何というのだろうか。「危ない場所に行かないようにしましょう」というのか、それとも「Aさん、あなたは悪くない。強盗犯人が悪い。あなたを支持します」とでもいうのか。

 地震でBさんの家が壊れたとしよう。あなたはBさんに何というのだろうか。「防災措置を講じましょう」「地震のない安全な場所に移住しましょう」というのか、それとも「Bさん、あなたは悪くない。地震が悪い。地震に抗議しましょう」とでもいうのか。

 事実判断を価値判断で否定することはできない。――少し哲学を勉強したことがあるなら、誰もが知っている法則だ。「事実判断」とは論理的に導かれたものであり、客観的なものをいう。「価値判断」とは人それぞれの価値観であり、主観的なものをいう。

 ロシアはいろんな理由で危険を感じて自己防衛に乗り出す。その「事実」を無視できない。しかし、自己防衛はいいが、戦争はいけませんと。これは「価値」レベルの規範的判断になる。個人も然り。自己防衛の中身や程度に応じて、「正当防衛」(良しとしよう)だったり「過剰防衛」(ちょっと良くない)だったり価値判断を加えることがある。

 私がいつも言っていることだが、「戦争反対」はある意味で「地震反対」と同じレベルだ。

 戦争を起こしたロシアが悪い。あるいは昔戦争を起こした日本が悪い。いずれも「価値判断」である。だが、どのような状況下で戦争になったのかという「事実判断」がより重要だ。良し悪しの「価値判断」で批判しても、戦争はなくならない。場合によっては事態を悪化させるだけ。

 最後に補足しておこう。この記事の見出し「事実判断を価値判断で否定する愚」の「愚」も「価値判断」。本当なら「事実判断を価値判断で否定することはなぜ生じるのか」という「事実判断」をしなければならない。その論考は別の機会に譲りたい。

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