流氷紀行(6)~白と青の惑星で悟る「動」と「静」の哲理

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 2月12日、川湯温泉を後にして目指すは知床・ウトロ、そして、あの流氷!

 流氷は、そこにあるものではない。天候や温度、風、潮などで常に動いている。しかも、天気予報である程度捕捉できるものでもない。ある意味では運任せといってもいい。流氷に会えることは「当たり前」ではないからこそ、会えたときの感動は大きい。そのうえ、地球の温暖化で、流氷観測可能な日数は年々減っているという。今回の北海道旅行、最大なメインイベントは流氷だが、正直言って会えるかどうか、まったくの神頼みだ。

 朝、快晴の中、一面に広がる白銀の大雪原が眩しいほど輝く。国道391号を北上してオホーツク海の手前で右折し、国道244号に入る。ちょうど昼頃、斜里の街を通過すると、今度左手の国道334号に入り、標識が「知床国道」に変わる。さらにしばらく走行すると、道幅が少し狭くなる。カーナビに目を落とすと、「斜里町峰浜」周辺だ。右手にウナベツスキー場のゲレンデが見えてきたころ、車は完全に知床半島に入り、まもなく海岸に出ることが分かる。

 期待に胸躍る。気持ちが高ぶる。

 軽くカーブを描いてスピードを落とし、はっと気が付いたら、目の前にそれこそ、輝く大雪原が一面と広がる。ちょっと待ってよ。いままで見てきた滑らかな大雪原ではない。表面がギザギザの起伏があって・・・もしや、間違いない。

33602_2流氷だ!

 「流氷だ」

 オホーツク海は、一面の流氷に覆われている。ぎっしりと。真っ青な空、真っ白な流氷、宇宙は白と青の二色に奪われた。ほかは何も見えない。

 太陽は無限に光を注ぎ、白をさらに白く、青をさらに青く、無限の白と青に仕上げようとしている。

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33602b_3オホーツクの流氷(2010年2月12日午後撮影、知床・ウトロ付近)

 風がない。音がない。時間が止まる。思考が止まる。地球が別の惑星になった。白と青の惑星になった。憎しみも戦いもない惑星、弱肉強食も経済成長もない惑星、いつまでもどこまでも、白と青、そして、光に満ちた惑星だ。

 人間という生物は、「変化」という「動」を常に恐れている。流氷は「動」の海を「静」の雪原へと変えてしまい、人間に究極の「静」、無限の安心感を与える。

 しかし、いま、地球の温暖化という「動」が流氷の「静」を破壊しようとしている。なぜ、温暖化という「動」が発生したかというと、我々人間が現状という「静」にしがみつき、温暖化を食い止める諸対策による変化という「動」を拒んできたからである。理屈が分かっていても、本能で拒んだり、或いは既得利益や国家利益に立脚して拒んだりしているのである。

33602_4白と青の惑星

 「動」と「静」は、誠に不思議な存在である。私の旅にも、「動」と「静」が交差している。三木清が「人生論ノート」に書き綴っている言葉を思い出さずにいられない。

 「旅は人間を感傷的にするものである。しかしながらただ感傷に浸っていては、何一つ深く認識しないで、何一つ独自の感情を持たないでしまわねばならぬであろう。真の自由は物においての自由である。それは単に動くことでなく、動きながら止まることであり、止まりながら動くことである。動即静、静即動というものである。人間到る処に青山あり、という」

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