中国が悪なら、なぜ日本人は一刀両断で「脱中国」できないのか?

 中国が「悪」と力説する日本人が多い。確かに善で片付けられるものではない。「悪」と、それが分かっているなら、まず付き合わないことが一番。経済的依存を断ち切ることだ。しかし、それができない。

 東南アジア諸国の中、私の住むマレーシアも含めて、中国好きで付き合っている国などほとんどいない。が、彼たちは「経済的依存」を素直に認めて付き合っているわけだ。これが言行一致で、潔い。

 日本人は体面や美学を重んずる。「事実認識」「価値判断」の関係、その辺の論理を整理しておきたい――。

 東南アジア諸国は、中国への経済的依存(事実認識)をはっきり認めているうえで、中国を善(非悪)として友好関係(価値判断)を維持する。事実認識と価値判断が一致している。いわゆる言行一致だ。

 これに対して、日本人の多くは、中国への経済的依存(事実認識)を誤魔化したり濁したり事実から逃げ回っていながら、中国を悪として(価値判断)批判し、罵る。事実認識と価値判断が一致せず、いわゆる言行不一致だ。

 心情的に価値判断を曲げたくないということは分かるが、現実逃避、事実認識ができないところが見苦しく、潔くない。だったら、素直に認めればいいーー。

 そうだ、言行不一致だ。経済依存はしているが、嫌っていると。旦那のDVに抗議しそれを非難しながらも、生活費はもらいたいし、離婚だけはしたくない、しない、できない。いささか多重人格だろうが、ただ少なくとも事実認識だけはしっかりしてほしい。これは潔さであって、日本人の美学ではないだろうか。

 日本企業が中国での「金儲け」が悪だという日本人も多い。生産者が「金儲け」できるのは、消費者が「得したい」「損したくない」からだ。需要と供給の関係があっての中国利益。善悪の判断を差しはさむ余地がなく、これも事実認識だ。

 負けは怖くない。怖いのは負けを認めないこと、負けを誤魔化すこと、負けの責任を他人になすり付けることだ。そうすると、永遠に負けのどん底から這い上がれない。

 中国が悪なら、悪に負けた日本は弱だ。弱を認めない者は妬みであり、愚だ。

 中国は、21世紀初頭までは自国が弱であることを認めていた。鄧小平の韜光養晦政策は、臥薪嘗胆をベースにし、立派だった。この哲学を理解できないなら、日本人が浅薄と言われても、中国や世界に見下されても仕方ない。そのうち、東南アジア諸国にも追い越されるだろう。

 日本は中国に追い越されたのだ。日本は中国に負けたのだ。この事実をはっきり認め、そして再起を誓う。そんな勇気をもたない国は没落する一途をたどる。

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